ひとりさん通信第二刊(2014年4月発刊)

「まるかん」のお店に行くと、ひとりさんのCDが110円で売っています。

ひとりさんの秘蔵のDVDも見ることができます。ぜひ遊びに来てくださいね! 。

今月のひとりさんのお話

「バランスの法則」を知っていれば、落っこちることなく、成功し続けられる! 

今回のお話は、「バランスの法則」です。このことを知っていれば、あなたはずっと成功し続けることができます。大切な「宇宙の法則」なので、よく聞いてくださいね。 

数年前に、ある女子のマラソンランナーが、オリンピックで金メダルをとりました。この子は、すごいがんばって、努力して、金メダルをとったんです。すると日本中で、彼女のことが話題になりました。マスコミは「国民的ヒロインだ」とか、「スポーツ界の救世主だ」みたいな報道をして、みんなで彼女の活躍を喜びました。

ここまでは良かったんだけど・・・、その後、彼女に対して、ものすごいバッシングが始まったんです。彼女の言動を「生意気だ」って言ったり、周囲の人との確執をウワサしたり、「なんで、ここまでたたかれなきゃいけないの?」っていうぐらい、それはひどいバッシングだったんです。でも、よく考えてみると・・・、彼女はただ「マラソンが強かった」っていうだけなんだよね。「国民的ヒロインだ」とか、「スポーツ界の救世主だ」と言ったのは、本人ではなくて、周りの人なんだよね。 

さて、ここからが話のポイントなんだけど…、「どうしたら成功できますか?」っていうことを人に話すときに、「成功するには、運と実力の両方がいるんですよ」ってホントのことを言うと、人ってメゲちゃうんです。自分に自信のない人は、「私は運もないし、実力もない・・・」と思っているんだよね。「だから私には成功なんて、緑がない・・・」って思ってる。

彼女のように、何かのジャンルで活躍して、急に有名になると、自分の実力以上に、周りの人から「すごい!」って思われちゃうことってあるんだよ。「100のもの」が、150とか200ぐらいに評価されちゃうことってあるんだよね。 

だから「あなたは運がいいんだから、楽しください。こやってな」って言っているうちに、仕事でも何でありがも、実力は後からついてくるんです。

そうなっちゃうと、その人の「本当の実力」のところまで戻そうとする力が働くんだよ。これを「バランスの法則」というんだよ。振り子がギリギリまで振りすぎちゃうと、元の場所に戻るような感じに似ているんだよね。

入って急に出世すると、「ねたみ」や「そねみ」があるっていうよね。でも、「ねたみ」や「そねみ」じゃなくて、本当は「バランスの法則」が働いているだけなんだよ。この「バランスの法則」を知っていれば、何かで成功して、うんと周囲からほめられたときに、「あ、このままだと『バランスの法則』が働いて、元へ戻そうとする力(非難やバッシングなど)が働くな・・・」と気付くことができるよね。では、どうしたら、非難やバッシングを回避できるかを教えます。

周りの人に、「すごいですね!」って言われたら、「いえいえ、たまたま、うまくいっただけなんですよ」「みなさんのおかげなんです」「なんか、ただ一生懸命やっていたとか、 ら、うまく行って・・・。ホント、運が良かったんです」そういうふうに言うの。そういうときに、「私も、いろいろ、がんばったんです」なんて、ホントのことでも、言っちゃダメだよ(笑)あくまでも「周囲のおかげです」とか「運がよかったんです」と言っておいて、急激に持ち上げようとする力をなだめて、バランスを自分でとるんだよ。 

ちなみに、ひとりさんが納税日本一になったときも、おかげさまでそんなにバッシングを受けないで済んだんだよね。 

その時に「本を出さないか」っていう話が来て、『変な 人の書いた成功法則』っていう本を書いたんだけど・・・。 

なぜ、「変な人~」っていうタイトルをつけたかというと…、例えば、オレは中学校しか出ていないけど、世間の皆さんは高校に行ったり、大学に行ったりしているんだよね。中には、したくもない勉強を一生懸命やって、高校や大学にがんばって入った人もいると思う。そういう人の中で、オレみたいな中学しか行っていない珍しい人が納税日本一になっちゃったりすると、「なんだ、アイツ!」って、おもしろくないと思う人も当然いるよね。そういうときに、「いや、皆さんの考え方の方が正しくて、こちらの方が”変”なんです」っていうスタンスでいると、「そうか、変わった人なんだな・・・」って、そんなに反感は買わなくて済むんだよ。 

なぜ、「変な人~」っていうタイトルをつけたかというと…、例えば、オレは中学校しか出ていないけど、世間の皆さんは高校に行ったり、大学に行ったりしているんだよね。中には、したくもない勉強を一生懸命やって、高校や大学にがんばって入った人もいると思う。そういう人の中で、オレみたいな中学しか行っていない珍しい人が納税日本一になっちゃったりすると、「なんだ、アイツ!」って、おもしろくないと思う人も当然いるよね。そういうときに、「いや、皆さんの考え方の方が正しくて、こちらの方が”変”なんです」っていうスタンスでいると、「そうか、変わった人なんだな・・・」って、そんなに反感は買わなくて済むんだよ。 

なぜ、「変な人~」っていうタイトルをつけたかというと…、例えば、オレは中学校しか出ていないけど、世間の皆さんは高校に行ったり、大学に行ったりしているんだよね。中には、したくもない勉強を一生懸命やって、高校や大学にがんばって入った人もいると思う。そういう人の中で、オレみたいな中学しか行っていない珍しい人が納税日本一になっちゃったりすると、「なんだ、アイツ!」って、おもしろくないと思う人も当然いるよね。そういうときに、「いや、皆さんの考え方の方が正しくて、こちらの方が”変”なんです」っていうスタンスでいると、「そうか、変わった人なんだな・・・」って、そんなに反感は買わなくて済むんだよ。 

そうやって、「私は、そんなに、たいした者ではありま せん」と相手に言って、バランスをとっておくことが、実 は、成功を続けるコツなんです。 今回の話は以上です。ありがとうございました。 (ひとり)

「ひとりさんの詩」には、こんな意味がある!

このまえ、お弟子さんの舛岡はなゑさんから、 すごくいい話を聞いたので、みんなにも教えたい と思います。 

はなゑさんが、「普通は『好きな人』と『嫌いな 人』がいるよね。でも、私の場合はね、『好きな 人』と『どうでもいい人』しかいないんだ」って言 うんです。それを聞いて、ひとりさんは「はなゑ さん、いいこと言うなあ!」と思ったんです。 

なぜかと言うと・・・、私のお弟子さんになるよ うな人は、みんな「いい人」だから、たとえ「嫌い な人」がいても、「好きにならなきゃいけない」っ て思って、一生懸命努力するんだよね。 

でも、「嫌いな人」を好きになることって、なか なかできないんです。また、「嫌われる人」って、 「嫌われるようなこと」をするから、嫌われるん だよね。それで、そういう人を、いくら好きにな ろうとしても、また嫌がらせをされて、イヤな思 いをしたり、傷つくことになるんです。 

そういうときに、「この人は『どうでもいい人』 だから、何を言われても気にならないんだ・・・」っ て思うと、気持ちがふっとラクになって、乗り越 えられるんだよね。不思議なものなんだけど 「好き」という分類と、「嫌い」という分類の 間に、「どうでもいい」っていう“グレーゾーン”が あると、すごく助かるんです。なぜかというと、 「あの人、嫌いだ!」と思っていると、「嫌い」って いうトゲトゲした波動を、常に出していること になります。でも、「どうでもいいや」と思ってい ると、トゲトゲした波動は出さずに済みます。 だから、「どうでもいいや」と思うだけで、自 も、周りの人も、おだやかでいられるんだよね。

この話をいろんなところでしたら、「ひとりさ んの『どうでもいい人』の話を聞いて、助かりま した!」「心がラクになりました!」っていう人 が、意外といっぱいいました。だから、これはいい 機会だと思って、「ひとりさん通信」を読んでく れている人にも、ぜひ教えたいと思いました。 ありがとうございました。(ひとり)

「ひとりさんについていきたい!」

ひとりさんの考え方に賛同し、楽しく学ぶ「ひとりさん仲間」を紹介します!

  • 今回は「福岡特集」です。次回から、全国各地の「ひとりさん仲間」を紹介していきます。
  • 特約店さんの体験談は、「その人の想い」を紹介したくてのせたものですためにのせているわけではありません。特約店を募集するためにのせているわけではありません。
  • 体験談の中に「神さま」という言葉が出てきますが、宗教とは全く関係ありません。

「お母さんを守りぬくと覚悟を決めなよ」そのひと言で、父に殴られ続けた母を救出することができた! 

殴られ、水をかけられ夜中に買い物に行かされる母 

母のことを語ると、つい涙がこぼれそうに なります。僕の母は、いま73歳になります。数ヶ月前に、ようやく父と離婚して、念願の「ひとり暮らし」を始めました。ここまでくるには、母にとっても、僕にとっても、大きな勇気と決断がいることでした。 

しかし、一人さんが僕にかけてくれた、「健 ちゃん、お母さんを守りぬくと覚悟をきめ な」というひと言で、腹がすわり、母を救出す ることができたのです。 

しかし、一人さんが僕にかけてくれた、「健 ちゃん、お母さんを守りぬくと覚悟をきめ な」というひと言で、腹がすわり、母を救出す ることができたのです。 

母に対する父の暴力は、僕が、物心がつく 前から始まっていたようです。ちょっと気に入 らないことがあると、母を平手打ちしたり、 突き飛ばしたり…。そんなことは日常茶飯 事です。食事のときに、好きなおかずが用意 されていないからといって、母が作った料理をすべてテーブルから床に落とし、氷の入った 冷たいコップの水を、母の頭からかけたこと がありました。また、僕のことで気に障るこ とがあると、「オマエのしつけが悪いからだ」 と、母を壁に押しやり、逃げられないように して、体中にアザができるまで母を蹴飛ばす のです。 

ある時、父の好物だったお菓子を、母が買 い忘れたことがありました。夜中、そのこと に気付いた父は、「いますぐ買ってこい!」と 母を買い物に行かせたのです。当時、僕たち 家族が住んでいたのは、山の中の田舎町でし た。母は、数キロ離れた隣町のコンビニまで、 父の好物のお菓子を買うためだけに行かさ れることになったのです。 

母は、反抗すると、ますますエスカレート する父の暴力が怖いので、まるで奴隷のよう に父の命令を聞くしかありません。まっくら 闇の中、トボトボ歩いて買い物に行かされる 母の後姿を、小学生だった僕は、窓からずっ と見守っていました。そして、声をたてないよ うに、歯を食いしばって泣きました。 

「少しでも早く大人になりたい。母を父か ら守ってやるんだ!」。僕は幼心に、胸に何度 もそう誓ったのです。 

いっこくも早く母を救いたい! 

僕は自分の家に帰るのがイヤでした。毎 晩のように、母が死ぬほどぶちのめされたり、ののしられたりするのを見たくなかった からです。 

学校にいるときだけが、唯一、心がほっとす る時間でした。学校の友だちとしゃべってい るときだけは、「明るくおどける楽しい健 ちゃん」でいることができました。 

いつしか僕の中には、「自分のように傷つ いた子どもの心を癒して、笑顔にさせる先生 になりたい!」という夢が芽生えました。教 師になって、生活を安定させて、いっこくも早 く、母を地獄のような生活から救い出す…。 これが僕の目標となったのです。

僕はニガテだった勉強にも積極的に取り 組むようになり、大学では教職をとって、小 学校教員の採用試験に合格することができ ました。母に対する父の暴力はあいかわらず 続いていましたが、母は僕が教師になれたこ とを、とても喜んでくれました。 

そのころ、母はめったに笑うことがありま せんでした。ずっと父から殴られたり怒鳴ら れたりしたので、感情がなくなり、一日の大半 をうつろな目で過ごしていました。

母は、自分のために買い物をすることも、 外出をすることも、友人と会うことも許さ れていませんでした。実家のお金の管理はす べて父が握っていて、母は食料を買いにいく ときに、千円札を1枚渡されるのです。母は 自分のために、新しいブラウス1枚買ったこ とがありませんでした。小柄な母は、僕が高 校時代に着ていたチェックのシャツの袖を折 り返し、大事そうに何年も着ていました。そ んな母の姿を見るたびに、僕の胸は、はりさ けそうになるのです。 

僕は母に「もう、お父さんとは離婚しなよ ・・・」と何度も勧めました。しかし、母から 返ってきた言葉は意外なものでした。

「私がいなくなったら、 お父さんは生きていけないから」 あげるんだよ」。

母は「私も、離婚したいけれど・・・。私もこ んな歳になってしまったし、モノを知らないから、ひとりでどう生きていっていいかわからな い。それに、私がいなくなったら、お父さんは 生きていけないから・・・」 と、そんなことを言 うのです。あれだけ殴られたり、ののしられ たりしているのに、まだ父のことを思っている 母が歯がゆく、母本人が離婚を踏みとどまっ ている以上、息子としてどうしたらいいのか 迷いました。

ちょうどそのころ、僕は、一人さんの教えと 出逢いました。僕が通勤している小学校の 近くに、迎理恵さんがやっている特約店「た このわ」さんがあり、仕事の帰りに、頻繁に お店に立ち寄るようになりました。 

迎さんに母のことを話すと、とても親身に なって相談にのってくれました。そして、「こ んど東京の新小岩にある『一人さんファンの 集まるお店』に遊びに行くんだけど・・・、健 ちゃんも一緒に行ってみない? もしかしたら、 一人さんのお話が、直接、聞けるかもしれない よ」と誘ってくれたのです。

この迎さんのひと言で、僕と母の運命は、 大きく動くことになるのです。

「お母さんの心が明るく、 軽くなることを たくさん言ってあげな」 

僕が新小岩の「一人さんファンの集まるお 店」に遊びに行った日、幸運にも、一人さんがお 店にいらっしゃいました。僕と母の事情を、迎 さんから聞いていたようで、一人さんは僕に逢 うなり、こんな話をしてくれたのです。

 「健ちゃん、お父さんとお母さんのことは『夫 婦のこと』だから、離婚するかどうかは、お母 さんの判断にまかせたらどうだろう。健ちゃ んは、お母さんの心が明るく、軽くなるよう なことをたくさん言ってあげな。『お母さんは 強いね。あんなにお父さんに殴られても、まだ お父さんのことを思えるんだから。なかなか できることじゃないよ…』ってね。いっぱい褒め てあげて、お母さんが正しい判断ができるよ うに、縮こまって固くなっている心をほぐして あげるんだよ。」

その日から、僕は一人さんからいただいたア ドバイスどおり、母のことを褒め続けました。 

「お母さんはえらいね!」「お母さんは強い ね!」「なかなか、できないことだよ」・・・。何度 も何度もそんな言葉をかけているうちに、無 表情だった母の顔に、少しずつ笑みが広がって いきました。うつろだった目には光が差すよう になり、なんともいえない無邪気な笑顔でニ コッと笑ってくれることもありました。 

そして、ある日、母はきっぱりした口調で、 こう言ったのです。 「私、この家を出ていくわ。 お父さんとは離婚します」。 

「健ちゃん、いまこそ、 お母さんを全力で守るんだよ!」 

母が離婚を口にした後、父の荒れようは尋 常ではありませんでした。「オマエのような世 間知らずのババアが、ひとりで生きていける ものか!」と騒ぎ立てたかと思うと、急に“猫 なで声”になって「いままでオレが悪かった。 う改心するから、出ていくなんて言わないで くれ」と母に懇願したりします。 狂気のように騒ぐ父から、母の身の安全を 確保するために、ひとまず、僕のアパートに母 を非難させました。

すると、ある日、僕の職場に、父から電話が かかってきました。受話器の向こうでは、父が 虫の鳴くような声で、「オレは首をつって自殺 するから。いまからロープを買いに行くんだ と、母さんに伝えてくれ・・・」などと言うので す。このひと言には、さすがの僕も震えが止 まらず、心臓がドクンドクンと音をたてて 鳴りました。「いったいオレはどうしたらいい んだろう…」。父にまさかのことがあったら ……。ひょっとして、母を父の元へ戻した方がい いんじゃないか・・・。心の中は迷いでいっぱいに なりました。

すると、なんと神さまの使いであるかのよ うに、一人さんのお弟子さんのみっちゃん先生 から、タイミングよく電話がかかってきたの です。「健ちゃん、お母さんの様子はど う?」。僕は手短に事情を話すと、電話口に一 人さんが出てくださいました。そして、僕の 心の芯に届くような声で、こんな話をしてく れたのです。 

「健ちゃんは、殴っているお父さんと、殴ら れているお母さんのどちらの味方をするんだい? いまこそ、お母さんを全力で守るんだ よ。お父さんが何を言ってきても、お母さんを 守り抜くと覚悟を決めな。お父さんの“名演 技〟に心をゆさぶられて、お母さんをまた地 獄のような生活に戻しちゃいけないよ。万が 一、何かあったとしても、それはお父さんが選 択する人生なんだ。健ちゃんのせいではない んだよ」。 

僕は胸がいっぱいになりました。一人さんの このひと言で、僕の腹がすわりました。「一人 さん、僕、何があっても母を守り抜きま す!」。僕の脳裏には、小学生の時に見た、夜道をトボトボ歩く母の後姿が浮かんできま した。あのときの決意を、大人の男になったい ま、ようやく果たすときがきたのです。 

母の青春は、いま始まったばかり! 

父の「おどし」は、それからもたびたびあり ました。しかし、僕はそれに動じず、びくとも しませんでした。そして、母が再出発できる ように、住むところを見つけ、電車にもバスに も乗ったことがない母に、切符の買い方や乗 り換えの方法をひとつひとつ教えていきまし た。 

いま、母は自分ひとりで電車に乗り、迎さ んのお店「たこのわ」さんに、頻繁に遊びに 行っているようです。ブラウス1枚買ったこと がなく、化粧もしたことがない母が、迎さん にメイクの方法を教わり、さくら色の頬紅を つけてお店にくるようになったのは、息子の僕 もびっくりです(笑) 

最近、母は「一人さん仲間」とも知り合い、 初めて「親友」と呼べる人ができた様子。「私 の青春は、いま始まったばかりなの!」と ジョークを言って、笑えるようにもなりまし た。父にさんざん殴られ、蹴とばされ、いつも アザだらけで腫れあがっていた母の顔。その母 の顔が、いまは毎日、興奮とワクワクで、さく ら色に上気しています。いまの母の笑顔があ るのも、「お母さんを守り抜くと覚悟を決め な」と教えてくれた一人さんのおかげです。

母の幸せが永遠に続くよう、僕は覚悟を決 めて、これからも母を全力でサポートしてい きます。 

「ハンディのある子は、やさしいお母さんを選んでくるんだよ」 人さんの言葉に、あたたかい涙が沸きあがってきた! 

神さまがいるのなら娘が失明した理由を 聞いてみたかった 

私には、三十代の娘がいます。娘は生まれ てすぐに「弱視」だと診断されました。しか し、娘はわずかな視力だと感じさせないほど、 何事にも積極的に取り組む、しっかりした、や さしい子に成長してくれました。 

音楽が大好きで、高校から始めたトロン ボーンの演奏では「加奈子ちゃん(娘の名)の 演奏は、聴いている人の胸に染み入るような 音だね」と多くの方から褒めていただくこと もあり、プロのトロンボーン奏者を目指して、 毎日、全力で練習していました。

しかし、娘が大学生のときに、徐々に視力 が弱まっていき、ついには全盲に近い状態にな りました。娘はそのときも、私たち家族の前 で、愚痴や泣き言をいっさい言いませんでし た。「お母さん、私ね、目が見えないようになっ てから、目には見えない大切なものが、ハッキ リ”心の目〟で見えるようになったの」。そんな ふうに笑顔で私に言うのです。 

そんな娘を見て、「えらい子だなあ!す ごいことを言うなあ」と我が娘ながら感心し ました。 

しかし、その反面、母親の私自身は、「な ぜ、あんなにいい子から、神さまは光を奪ったのだろう?」「母親である私が、前世で悪いこ とでもして、その因果なのかしら?」と、なか なか腑に落ちることができませんでした。そ して、「もし、この世に神さまがいるのなら、娘 が失明した理由を教えてほしい」という思い で、やるせなくなることもありました。 

その数年後、私が抱えていた「神さまへの質 問」を、まさか一人さんが答えてくれるとは 思ってもみませんでした。 

盲導犬の「ナンシー」が 一人さんのそばから離れない! 

全盲になった娘を、私は自分の人生をかけ て支えていこうと思いました。

ところが、娘の方は、親から自立することを しっかり考えていたようです。プロのトロン ボーン奏者として活動し、娘の心に寄り添っ てくれる盲導犬の「ナンシー」を迎え、練習や コンサートに積極的に出かけるようになりま した。 

ハンディを感じさせず、イキイキと出かける 娘を見ていて、母親の私もずいぶん触発され ました。「私も何か仕事を始めたい・・・」と思 うようになったころ、絶妙なタイミングで、一人 さんの教えと商品に出逢ったのです。「ぜひ、 まるかんの特約店になりたい!」と、私は神奈 川県でお店をスタートさせました。 

ある日、東京の新小岩の「一人さんファンの 集まるお店」に、私は娘と盲導犬の「ナンシー」を連れて、遊びに行きました。 

その日は、ラッキーなことに一人さんがお店 にいらして、大勢のお客さんの前で、お話をし ていました。 

すると、驚くようなことが起こりました。 私たちのそばにいた「ナンシー」が、急に立ち 上がったかと思うと、一人さんの方へスーッと 歩き出しました。そして、一人さんの隣に行く と、ちょこんと座りこんでしまったのです。通 常、ナンシーは、私や娘のそばから絶対に離れませんから、これにはびっくりしました。

 一人さんはナンシーをやさしくなでながら、 「よしよし、いい子だねえ」と声をかけてくだ さっています。ナンシーは何か言いたげな表情 で、じーっと一人さんを見上げています。私は あわてて、ナンシーを席に戻そうと、一人さん のそばまで行きました。 

すると、思いもかけず、一人さんはこんな言さしいお母さんを選んで生まれてくるの。言葉を私にかけてくれたのです。 

「目が見えない人生」を、 生まれる前に選んできた! 

「容子ちゃんの娘さんは、すごい人だよね。だって、『目が見えない人生』を、自分で選んで来たんだから・・・」。私は、一人さんの言葉がすぐに理解できずに、きょとんとした顔をしてしまいました。

一人さんは私に微笑みかけながら、人さんになでてもらいながら、なんとも嬉し こんな話をしてくれたのです。

「容子ちゃん、信じられないかもしれないけ れど・・・。実は人間って、何回も何回も、生まれ 変わっているんだよ。それで、生まれてくる前 に、『今回はこういう人生にして、こんな修行 をしてこよう…」って、自分の人生のストー リーを全部決めてくるんだよ。だから、娘さ んも、今回の人生では、『目が見えない人生』 を自分で選んできたんだよ。『目が見えない』 という修行は、かなり高度な修行だから、よ ほど魂が成長した人にしかできない修行だ よ。きっと容子ちゃんの娘さんは、魂のステー ジが、とても高い人なんだよ」。 

私は一人さんの言葉を聞きながら、娘の視 力がなくなっていった日々のことを思い出していました。「大切なものが、“心の目〟で見える ようになったの」。愚痴や泣き言ひとつ言わ ず、笑顔で私にそう語った娘。強がるふうでも なく、私を慰めるふうでもなく、娘は心底納 得した感じで、しみじみとそう言ったのです。

一人さんの言うとおり、娘は自分で「目の見 えない人生」を選んできたんだ…。すごい修 行を選んだ子が、私の娘になったんだなあ・・・。

私は、いままで胸の中でくすぶっていたもの 、パアーッと晴れていくような気がしまし た。 

「面倒見のいい、やさしいお母さんを選んでくるんだよ」 

一人さんはナンシーをやさしくなでながら、 話を続けました。「それとね、子どもは生まれ る前に、親も自分で選んでくるんだよ。ハンディがある人生を選ぶ人は、面倒見のいい、やさしいお母さんを選んで生まれてくるの。容子ちゃんは、すごく面倒見がよくて、やさしい人だよね。だから、娘さんは容子ちゃんをお母さんに選んだのかもしれないね」。

一人さんの言葉を聞いて、私の胸に、あたた かい涙が沸き上がってきました。「私を選んで くれて、ありがとう!私のところに生まれて くれて、ありがとう!」。娘にそんな思いを伝 えたくていっぱいになりました。

涙のたまった目でナンシーの方を見ると、一人さんになでてもらいながら、なんとも裏しそうな表情で、シッポを大きくふっています。きっとナンシーにはわかっていたのでしょう。一人さんが私にとって、かけがえのない大切な「答え」をくれる人だということを・・・

すばらしい修行を、自ら選んできた娘。そ して、私を母に選んでくれた娘。それがわかっ たのも、 すべては一人さんのおかげです。

この先、何が起きても、自分で選んだ「すばらしい人生」を、私は最高に楽しみたいと思ってます。