ひとりさん通信第14刊(2015年4月発刊)

今月のひとりさんのお話

「最後のとりで」として救いを求めてくる人のために・・・ひとりさんは「路線変更」をします!

今回の話は、みんなにとって、かなり「ショーゲキ的な発表」になるかもしれません。

でも、いま、ひとりさんが考えていることを、ありのまま!

ここ最近、ひとりさんはずーっと考えていることがありました。

それはね…、「ひとりさんに救いを求めてくる人」のことなんです。

実は、ひとりさんのことが好きで、「ひとりさんの教え」を求めてくる人には、大きく分けると2 つのタイプがあります。

① もともと行動的で勇気もあり、すでに商売や事業で、ある程度の成果を出している。さらに成功するために、ひとりさんの教えを求めている。

② 自己重要感が低く、行動することがニガテ。勇気もなかなか出なくて、やっとのことで生きている。何か大きな悩み事を抱えているけれど、人にそれを言えず苦しんでいる。「苦しくて、苦しくて、このままでは生きていけないから、ひとりさん助けて…」という「最後のとりで」として、ひとりさんの教えを求めている。

この2 つのタイプがあるんだけど…。

正直なことを言うと、最近、「②のタイプの人」が、圧倒的に多いんです。

その割合を数字に表すと、「②のタイプ」が99 %、残りの1%が「①のタイプ」です。

それでね…、ひとりさんはいままで、いろんな「仕事の話」をしてきたけれど…、それは実は「①のタイプの人向けの話」が多かったんです。

例えば…、「仕事はジャンジャンバリバリやるんだよ」とか、「仕事は惜しみなく出し切るんだよ」とか、「うさぎは寝てはいけない (仕事がノッているときこそ、休んではいけない)」とか、「圧の話」とかね。

なぜ、「①のタイプの人向けの話」が多かったかというと..、ひとりさん自身が、その方法で成功してきたから。

正直言うと、ひとりさん自身は、すっごく行動的だし、

すっごく勇気もあるし、なにがあっても跳ね返していけ「強さ」を持っているんです。

だから、「ジャンジャンバリバリやるんだよ!」っていうやり方が、ぴったりだったんだよね。

ところがね・・、最近、ひとりさんのところに出いると、圧倒的に「②のタイプの人」が多いんでこういう人たちに、「仕事はジャンジャンバリ、よ!」「仕事は休まないでやるんだよ」って言うぶれちゃうんです。

フラフラの状態になって、「最後のとりで」ひとりさんを頼ってきている人たちに、「酷なことは…」とひとりさんは思ったわけなんです。

それでね…、ひとりさんは考えたすえに、「路線変更」することにしました。

これからは、「②のタイブの人向けの話」を多くしていきます。

「がんばらなくていいんだよ」「もっと力を抜いていいんだよ」「できないことはしなくていいんだよ」「人に助けてもらえばいいんだよ」「弱いところはカバーしあって、みんなで力をあわせて生きていこうよ」っていうような話が多くなると思い

ひとつ言っておきたいのは…・、「いままでの話(①のタイプの人向けの話)」で、うまくいっていた人は、わざわざ、それを変える必要はありません。

だから、いままでどおり、それを続けてください。

例えて言うと、こんな感じです。

「谷川岳」っていう大きな岩場があるんだけどね…、ここって、ロッククライミング(急斜面を登っていくスポーツ)のメッカなんだよね。

だから、谷川岳にはロッククライミングに最適な岩場(急斜面)がいっぱいあるんだけど…・、よく探してみると「なだらかな道」もちゃんとあって、そこを歩いていくと、ちゃんと谷川岳の頂上に着くようになっているんです。

世の中には、「急斜面をガンガン登っていくことが大好きだ!」っていう人もいます。

その反対に、「私は時間をかけてもいいから、なだらかな道をゆっくり歩いていきたい」っていう人もいます。

ひとりさんは神さまから、「みんなを頂上まで連れていってください」という「山登りのガイド」として任命されたと思っています。

それで、山登りのメンバーにいざ逢ってみると、ほとんどのメンバーが、体力がなくて、フラフラで、歩いていくのがやっとの状態だった。

どちらの方法を選んだにせよ、「山の頂上」には着くんでひとりさんは神さまから、「みんなを頂上まで連れていってください」という「山登りのガイド」として任命されたと思っています。

それで、山登りのメンバーにいざ逢ってみると、ほとんどのメンバーが、体力がなくて、フラフラで、歩いていくのがやっとの状態だった。

それがわかったとき、ひとりさんはこういうと思います。

「みんな、オレを言じてついてきてくれるかい。オレはね、みんなが登れないような急斜面は行かないから、安心していいんだよ。みんなが無理なく歩いていけるような、なだらかな道を選んで登っていくからね。みんなで、道端に咲いている花を見て喜んだり、飛んでくる小鳥を見たりしながら、楽しみながら登っていこうよ。そのうちに、ちゃんと頂上には着くからね」。

ひとりさんはこれから「名ガイド」になろうと思います。

だから、みんな、ひとりさんの「路線変更」をわかってくれたら嬉しいです。そして、たくさんの人を「しあわせの頂上」へ連れていく、お手伝いをしてくださいね。

今回の話は以上です。ありがとうございました。

ひとり

「ひとりさんについていきたい!」

ひとりさんの考え方に賛同し、楽しく学ぶ「ひとりさん仲間」を紹介します!
※今回は「宇野隊特集」です

「ひとりさんが教えてくれたこと」の1%しかできていない僕それでも、こんなに豊かになれた!

言葉にできないほどの「深い絆」僕たち仲間とひとりさんの関係

こんにちは、宇野信行です。今回は、「ひとりさん通信・宇野隊特集」というとてもすばらしい機会をいただきました。せっかくなので、僕がどういう経緯で「まるかん」の社長になったのか、平凡な「豆腐屋のせがれ」だった私を、どうやってひとりさんが導いて成功させてくれたのか…、そこのところをじつくりと語っていきますね。

みなさん、ご存じの方も多いと思いますが、僕は元々、はなゑさん、忠夫ちゃん(遠藤忠夫さん)、、純ちゃん(千葉純一さん)と同級生だったんです。忠夫ちゃんと純ちゃんとは、幼稚園のころから一緒でした。幼稚園の集合写真を見ると、幼い僕と忠夫ちゃんと純ちゃんが、仲良く手をつないで、ニコニコしながら写っていたりします。

そして、あれからウン十年…。いまも変わらず僕たちはしょっちゅう集まって、みんなでポーズしながら満面の笑顔で写真を撮ったりしています。まさに仲間たちとは「運命的な出逢い」だったと思います。

ちなみに、はなゑさんとは、中学l 年生のときに同じクラスになりました。はなゑさんは長い髪を三つ編みにして、お嬢さんぽくって可愛かったので、男子からモテモテでした。クラスでも「マドンナ的存在」だったはなゑさん。いまにして思うと、「相当、猫かぶってたんだなあ…」と思います(笑)

ひとりさんと出逢ったのは、20 代の半ばです。当時、はなゑさんがやっていた喫茶店「十夢想家」で、ひとりさんを初めて見たときのショ]ゲキは忘れられません。ひと目で「ものすごく高価なブランドものだ!」と僕にもわかった華やかなセーター(紺色の地に、赤や青など、虹色の模様が入ったも)を着て、どっしりとソファに座っている姿が「ただ者じゃない雰囲気」でした。ひとりさんの「オーラ」というか、「波動」というか…、「この人は、普通の人ではない。ものすごい人なんだ…」ということが、当時の僕にもわかったんです。

ひとりさんは「十夢想家」で、僕たちに、いろんな話をしてくれるようになりました。ひとりさんが話を始めると、その話題の豊富さに誰もが驚いたことでしょう。とにかく本を読み、物知りな人ですから、何を質問しても、すべて答えてくれるのです。他愛のない世間話から、身の上相談、仕事の悩み、生き方論、魂の話まで…。ひとりさんを中心とした輪の中で話されることは、さまざまだったと思います。

ひとりさんの話すことはいつも、「常識」とか、「よくある成功論」ではなく、「ああ、そうだったんだ…」と魂の底から感情があふれでるように腑に落ちるんですね。喫茶店の中で、自然とひとりさんを中心に話の輪ができ、ひとりさん目当てにお客さんが集まるようになっていったのです。

当時、僕は、家業の豆腐屋を手伝っていたので、朝がとても早かったんです。ひとりさんの話を夜遅くまで聞いていると、そのうちに、たまらなく眠くなって、コックリ、コックリ、居眠りを始めてしまう…。それでも、僕は、絶対に家に帰りませんでした。

なぜなら、仲間と一緒に、ひとりさんのそばにずーっといたいから。みんなで一緒に、ひとりさんのやさしい波動を感じていたいから…。その気持ちは、昔もいまも変わらないのです。

僕たちのそんな気持ちを、ひとりさんは誰よりもわかっています。だから、仲間の誰かがひとりさんのレクチャーの途中で眠ってしまっても、怒ったことなど一度もありません。それどころか、「風邪ひかないように、誰か、上着かけてあげなよ」なんて、愛情あふれる、やさしい言葉をかけてくれるんです。

これが、僕たち仲間とひとりさんの関係なんです。世間の人には理解しがたいかもしれませんが、言葉にできないほど「深い絆」で、僕たちは結ばれているんです。

ひとりさんからのサプライズ「大入り袋」の中に「滋賀県」と書かれたカードが!

もともと仲の良かった仲間たちですが、その中から、ひとり、またひとり…と、ひとりさんの仕事を手伝うようになっていきました。

僕がしみじみ「すごいなあ!」と思ったのは、ひとりさんの仕事を手伝うようになった仲間が、l年もたたないうちに、目に見えて「豊か」になっていくこと。かっこいい外車に乗るようになったり、ブランドものを身に付けるよ弟つになったり、キラキラしたアクセサリ]をいっぱい付けるようになったり…。

これは、いわゆる、ひとりさんの教えで言うところの「押し出し」ですが、仲間が逢うたびに華やかになり、カッコ良くなっていくのに、僕はものすごく憧れました。

僕も、ひとりさんの仕事を手伝いたくてしょうがなかったのですが…、実はこのとき、ひとりさんは迷っていたそうです。「信ちゃんは、ご実家のお豆腐屋さんにとって、大切な跡取り息子だ…。違う仕事に誘ってしまったら、ご両親に申し訳ない…」。そう思ってくださっていたそうです。

「よし、これから本読み大会を始めるからね…」。ひとりさんはそう言うと、仲間のひとりひとりに「課題本」を配り始めたのです。

「はい、信ちゃん」°手渡された本を見ると、「大入り袋」がはさまっています。僕が「大入り袋」を開くと、そこには「滋賀県」と書かれたカードが!

ひとりさんからの「信ちゃん、オレたちと-緒に仕事をしよう! 信ちゃんには滋賀県をまかせるよ皿というメッセージが込められたカードだったんですね。

「わあ、ひとりさん…、ありがとうございます…」。僕はそれだけ言うと、もう感動の涙が押し寄せてきて、なにもしゃべれなくなってしまいました。その場にいた仲間たちも、みんな大喜ぴして、一緒に泣いてくれました。

こうして僕は、仲間たちと一緒に「まるかん」の社長となり、宇野隊として滋賀県を担当することになったのです。

社長になって最初にぶつかった「向かない人に辞めてもらう修行」

平凡な「豆腐屋のせがれ」が、いきなり社長となり、人を雇う立場になった僕。社長として、いろんな修行が始まったのですが…、最初にぶつかったのは「向かない人に辞めてもらう修行」です。

ひとりさんから、僕は、こんなふうに言われていました。「信ちゃん、うちの会社に向かない人は、他に向く会社があるんだよ。うちの会社に向かない人が出てきたら、早く辞めさせてあげて、その人が向く会社に行かせてあげなきゃいけない。辞めさせるのも、社長としての愛なんだよ」。

ひとりさんの言葉を聞いたときは「ホントにそうだな…」と納得したつもりでいました。しかし、いざ現実に、そういう人が出てくると…、すごく自分の中で迷いや葛藤が生まれるんですね。

「辞めてもらう人」にもランクがあって、最初のうちは、「仕事中なのに、本をずーっと読んでいて、仕事をしない人」とか、「大幅に遅刻してくる人」とか、誰が見たって「辞めさせやすい人」なんです。

そのうちに、この修行もかなり高度になるんです。どういうことかというと…、「仕事の売り上げはトップなんだけど…、社長である僕に、生意気な態度をとったり、横柄な態度をとって、会社内の雰囲気を悪くする人」というのが出てきたんです。

囲気を悪くする人」というのが出てきたんです。僕はこのとき、相当悩みました。「この人に辞めてもらいたいんだけど…、この人を辞めさせたら、宇野隊の売り上げが下がってしまうんではないか…」という”恐れ”です。

何日も何日も悩み続け、心身ともにフラフラになっていたとき…、僕が思ってもみなかった「助っ人」がやってきました。

なんと、純ちゃん(千葉社長) が、岐阜からスタッフを引き連れて、いきなりやってきたのです。「おう、信ちゃん、遊びに来たぞ!」。純ちゃんはそう言いながら、事務所のみんなを見渡しました。「この中で、宇野社長をバカにするような態度をとる人がいたら、オレは許さないから。そういう人には、すみやかに辞めてもらうから…」。そう言うと、僕と一緒にスタッフひとりひとりと話し合い、「たとえ売り上げが良かったとしても、生意気な態度をとる社員」には、辞めてもらうことを言い渡しました。

僕がこの問題で、ずっと悩み続けていたことを、純ちゃんは知っていたのです。「遊びに来たぞ!」と言いながら、僕に気を使わせないように助けてくれたんですね。

このときの純ちゃんのやさしさ、思いやりは、いまでも忘れられません。

「信ちゃんの『ムッツリスケベ』を活かせばいいよ」

ひとりさんは、いつ逢っても、笑顔でおだやかですよね。僕は、自分が社長という立場になると、そうやっていつも笑顔でいることは「ものすごいことなんだ」と思うようになりました。なぜなら、日々、いろんなことが起きて、「イライラすること」や「怒りたいこと」も、続々と出てくるからです。ある日、ひとりさんが、僕に、こんなことを言いました。

「信ちゃんは、ムッツリスケべだよね」。「…はい、そうです(なんで、わかるんだろう…) 」。「だったら、ムッツリスケべを生かせばいいよ」。

ひとりさんが言うには、男は誰でも2 つのタイプに分けられるのだとか。「ハッキリスケべ」と「ムッツリスケべ」(笑) ちなみに、ひとりさんは「ハッキリスケべ」で、僕は「ムッツリスケべ」だそうです(笑)

「信ちゃん、イライラすることがあったらね…、心の中で『エロいこと』を思いっきり考えな。『あ、あそこにいる子、どんな下着の色なのかな…』とか、『あの子、いいケツしてるな…』とかね(笑)そうすると、イライラした気持ちが、だんだん薄くなっていくよ。

なんでこんなことを言うかっていうとね…、イライラしているときって、どうしても、そのことばっかり考えちゃうの。そういうときは、気持ちをちょっとだけズラすことが大事なんだよね。信ちゃんはせっかく『ムッツリスケべ』っていう特技を持っているんだから、それを思いっきり生かせばいい。『ムッツリスケべ』は、ムッツリしながら、スケべなことを考えているときが、いちぱん機嫌がいいの(笑) それで、頭の中では、何考えててもいいの。信ちゃんがいつもニコニコしていれば、周りの人は『宇野社長って、ステキな人ね。どん左ときもニコニコしてて・直って思うからね。頭の中で考えてることは、相手には見えないから、思う桴分、エロいこと考えな(笑) 。」

その日から、僕は「ムッツリスケべ」を最大限に生かすことにしました^笑9 イライラしたり、怒りたいときがあったら…「思いっきりエロいことを考える」。そうすると、どんなときでも機嫌良くなるし、笑顔になれるんです。おかげで、スタッフや特約店さんを怒鳴ったりせずに、ずいぶん助かってきました。男の人は、イライラしてきたら、ぜひ「この手」を使ってみてくださいね!

3 人の子どもの名前も、ひとりさんにつけてもらった

僕は12 年前に結婚し、3 人の子どもの父親になりました。子どもが生まれたときに、まっさきに思ったのは…「ひとりさんに名付け親になってもらおう!」ということ。だって、いまの僕がいるのは、すべてひとりさんのおかげなんです。これから人生を歩み始める我が子に、ひとりさんから名前をいただけたら…、僕にとってこれ以上、嬉しくて心強いことはないんです。

ひとりさんにそれを話すと、「信ちゃん、わかったよ。でも、ひとつだけ確認しておくけど…。子どもの名前ってね、時代によって、『いい名前だね!』って言われる名前があるんだよね。オレは、将来、信ちゃんの子どもが大きくなったときに、みんなから『いい名前だね!』って言われる名前を付けてあげたいんだけど…、どうかな?」。

僕は迷わず答えました。「ぜひ、ひとりさん、それでお願いします!」。-%つして、3 人の子どもの名前を、ひとりさんに付けていただくことになりました。

子どもの名前は、長女が「ポピー」。(※ポピーとりっ花は、みんなに愛され、花瓶に一輪挿しにしても目を楽しませてくれる。その花が-輪あるだけで、みんながほっと癒される。そんな女性がいたらステキだね…との意味が込められている)。

長男が「遊暴」。(※遊ぶように、楽しく元気に仕事をすると成功する。これからの時代、何事に関しても楽しく「遊ぴ」の気持ちを持って生きることが、とても大切になるよ…との意味が込められている)。

次男が「ココア」。(※ココアといーっ飲み物は、甘くて、あったかくて、ほっとひと息つきたいときに欲しいもの。そういう人がいたら、みんな心があったまるよね…との意味が込められている)。

いま3 人の子どもたちも中学生と小学生になり、3 人とも、ひとりさんが付けてくれた名前のごとく、たくさんの人から愛される子になりました。

ひとりさんと出逢って30 年近く。本当に本当にたくさんのことを教えてもらいました。でも、僕が実際にやったのは、ひとりさんに教えてもらったことの、ほんのl %ぐらいです。それなのに…、こんなに豊かになれたんです!! これといって何にもとりえがない、平凡な「豆腐屋のせがれ」が、いきなり長者番付に載るほど豊かになるなんて…、日本中を探してもこんな奇跡はないですよね。

そう考えると…、斎藤一人さんという人の教えが、どれほど、ものすごいものか、わかっていただけますか?

僕は、ひとりさんのそばにいるときが、いちばんラクで幸せなんです。それは「十夢想家」に通っていた時代から少しも変わりません。仲間と一緒に、ひとりさんのそばにず]っといたい。みんなで一緒に、ひとりさんのやさしい波動を感じていたい…。いまも、まったく同じ気持ちでいます。

最後に…。どうしてもこれだけ言わせてください。いまの僕がいるのは、どんなときも助け合い、励まし合ってきた仲間たちのおかげです。社長仲間の柴村恵美子さん、舛岡はなゑさん、宮本真由美さん、みっちゃん先生、芦川勝代さん、千葉純一さん、遠藤忠夫さん。それから、大好きな政ちゃん(芦川政夫さん)、芦川裕子さん。本社の舛岡のアニキ(舛岡嘉一さん)、大塚礼子さん、池田英子さん、長谷川洋司さん、河野悦子さん。…ここでは語りきれないほど、みなさんには本当にお世話になりました。この世で、こんなに魅力的で、こんなにやさしい方々はいないと思っています。

これからも、ものすごい師匠、斎藤一人さんの教えを学びながら、大好きな仲間たちと一緒に、毎日笑顔で「豊かで幸せな成功の道」を歩み続けます。

「最愛の猫」を亡くしたとき、ひとりさんから教わったこと

私にとって2 匹の愛猫は「家族も同然」だった

感謝しています。私は宇野隊で部長をしています、宇野千恵子といいます。ご存じの方も多いかと思いますが…、私は信行社長の実の妹です。

兄が「十夢想家」に通っているころから、ひとりさんのことは、兄からずっと聞いていました。兄が、「これはすっごくいい話だよ」と、ひとりさんのCD を送ってくれたり、「本読み大会」があると、仲間と同じように課題本を教えてくれたりしていたんですね。


私は、ひとりさんのお話を聞くたびに「魂が喜ぶ」と言いますか…、ものすごくワクワクするような感情がありました。その当時は、専業主婦だったのですが、「将来は、私も、まるかんの仕事をするんだ!」ということが、心のどこかでわかっていたのだと思います。

そのうちに、当時、結婚していた男性と離婚することになり、私は飼っていた猫2 匹をポータブルケージ(ネコを運ぶケージ) に入れ、2 匹と共に家を出ました。実家に帰ってきた私に、兄はなにも聞かず「千恵子、おかえり」とやさしい笑顔で迎えてくれたことを覚えています。

さて、「これから私は何をして生きていこうか…」というときに、私は「まるかんの仕事」が気になってしょうがありませんでした。「私もまるかんの仕事がしたい!」と兄に申し出ると、「それなら千恵子も滋賀へおいでよ」ということになり、私はまたも2匹の猫をポータブルケージに入れ、2 匹と共に滋賀へと向かったのです。

私にとって、この2 匹の猫は「家族も同然」。16歳と18 歳という、人間で言えばかなりの熟年猫でた猫ちゃんたちの写真が見たいから、送ってくれないかな?」。私と同じく猫好きのみっちゃん先生に、私は愛猫たちの姿を見てほしくて、すぐに写真を送りました。

すると数日後、兄が突然、私の家を訪ねてきました。

「千恵子、はい、新しいパートナーだよ!」。兄の手には、2匹の子猫が抱かれています。その子猫たちは、私の亡くなった愛猫たちにそっくり!、みっちゃん先生と兄が、亡くなった愛猫にそっくりの子猫を探し回ってくれたそうで……、その2匹をようやく見つけてくれたそうなのです。

いま、その2匹は、私と一緒に暮らしています。飼い始めてしまうと、やっぱり、かわいくて、かわいくて、たまりません。それに子猫たちが家に来たとたん、「この子たちを育てるには、体力がいるな!」と思ったのでしょうか。いきなり、すごい食欲が戻ってきて、ご飯ももりもり食べるようになりました(笑) いまは私の中に、なんともいえない充実感と愛のエネルギーが満ち満ちているのを感じています。

このひとりさんの言葉は本当だったんだな・・・と、いまは改めて思っています。

ひとりさん、みっちゃん先生、それから兄の行社長、大変ご心配をかけましたが、本当に感謝の気持ちでっぱいです。いま新たに2匹の愛猫を育て、かわいがるせをしみじみ実感しています。

おしらせ

「まるかん」では、お買い上げ金額に応じて「キラキラペンダント」をプレゼントしております。万がー、「キラキラペンダント」に特別な力があると思って商品をお買い上げ下さった方がおりましたら、そういうことはございませんので、商品をお返しいただければ、お金をお返しいたします。

(※未開封・消費期限のあるものに限らせていただきます)