今月のひとりさんのお話
人に好かれない原因は「ひとりさんの教え」に反したことをやっているから
今回の話は「人間関係」の話なんだけど・・・、このことがわかると、あなたの「仕事」が、いままでと比べものにならないほどうまくいくようになります。
それから、お店をやっている人は、自然と「売り上げ」がグングン上がります。だから、とっても大事な話だから、よく聞いてくださいね。
あのね、例えば自分が「まるかん」のお店をやっているとするよね。
それで、あるとき、お客さんがごっそり、いなくなっちゃったとするよね。
そうすると、お店をやっている人はすごいショックを受けるよね。「・・・これって、いったい、なんでなんだろう?何が原因で、お客さんがいなくなっちゃったんだろう?」ってパニックになると思うのね。
それはね・・、「ひとりさんの教えに反したことをやっているから」。
このことに尽きるんです。
そうやって言うと・・・、「えっ、私はひとりさんが大好さだから、私なりに、ひとりさんから言われたことをちゃんとやっているつもりです…」って言いたくなると思うのね。
でもね、よく思い出してください。
例えば、あなたが何かで落ち込んだとき、「暗い状態の自分」のまま、お客さんの前に出ていませんか?
ひとりさんの教えでは、「いつも楽しく、上気元」が基本だよね。自分の気持ちを上げようともしないで、そのまま店に出ちゃう人が、何かを売ったとしても、それを買いたいと思う人がいなくなるのは、あたりまえのことだよね。
それから、お店に来たお客さんが、愚痴や泣き言を言ったとき。あなたも一緒にその輪の中に入って、愚痴や泣き言を言っていませんか?
お客さんはそのとき何も言わないけれど、そういう姿をちゃんと見ているんだよ。自分と一緒に愚痴や泣き言を言う人は、お客さんにとって「親しみやすい人」ではあっても、「この人を塾長(先生)と思おう!」っていう気持ちはなくなるんです。お客さんが愚痴や泣き言を言っていたら、「そういうことを言うときは、こうやって明るい言い方に変えようよ!」って、さりげなく注意してくれる人のところに通いたいものなの。それがお客さんの「ホンネ」なんです。
それから、あなたはちゃんと「押し出し」をしてお店に出ていますか?店長や塾長、先生と呼ばれる人に、「押し出し」って分かせないものだよね。なぜなら、人っていうのは、「自分よりちょっと上」の人から、話を聞きたいと思うものだから。
「押し出し」の話をすると、「私、押し出し、ニガテなんです…」っていう人がいるけれど、オレはそんな難しいことをしろって言ってるんじゃないんだよ。ロレックスの腕時計をするとか、ヴィトンのバッグを持つとか、大きな指輪をいくつかするとか..、そういうのは基本だから、みんな知っていると思って話を進めるよ。その上で、大事なのは、「相手から見てパリッと見える”見た目にすること」。いつもTシャツにジーンズみたいな格好をしている人は、その上からジャケット1枚、さっとはおるとか…・・。髪にツヤがなくてボサボサだったら、オイルつけて、後ろでひとつにまとめて、こざっぱりした清潔感を出すとか…・・。要は「長屋のおばさん」に見えるんじゃなくて、「この人、塾長さんなんだ!」「すごい先生なんだ!」っていう雰囲気が出ればいいの。そのことを毎日、意識するかしないかで、「相手の見る目」ってずいぶん違ってくるんだよ。
「私、押し出し、ニガテなんです…・」って言ってる人は、どこかに「テレ」があるの。それから、自分が落ち込んだまんまのブスッとした顔でお店に出ちゃう人は、「こういう態度でやってても、許してもらえるわよね」っていう「甘え」があるんです。この「テレ」と「甘え」をやめようと思わないかぎり、あなたは「ひとりさんの教え」に反したことをしているの。そういうお店からは、お客さんはどんどん減り続け、結局は「魅力のある人」のところに、お客さんは集まっちゃうよね。
21世紀は「魅力競争の時代」です。魅力のあるところに人が集まり、それが「数字」に表れて、みんなにはっきりわかっちゃうんです。
「では魅力とはなんですか?」というと、「まるかん」のお店に関していえば、「ひとりさんの教えを、純粋に、ブレずにやっていて、それを人に伝えていること」。そこの店長さんが、「パソコンがニガテだ」とか、「商人としての経験がない」とか、いろいろできないことがあったとしても、実はそんなことは何の問題にもならないんです。
「ひとりさんの教え」さえ、純粋にブレずにやっていれば..、あなたは人から好かれ、愛されるようになってるの。それで、あなたのニガテなことを「手伝ってくれる人」が絶対に出てくるはずだから。
これは、実はサラリーマンとか、OLとか、他の仕事をしている人でも同じなんです。「ひとりさんの教え」をちゃんと実践していれば、絶対に人から好かれ、愛されるようになってるの。もし、「私、あんまり人から好かれないな•・・」っていう人がいたら、なにか「ひとりさんの教え」に反したことをやっているんだよ。
そう思って、自分の日頃の言葉や行動を見直してみてください。
今回の話は以上です。ありがとうございました。
ひとり
「ひとりさんについていきたい!」
「ひとりさんと歩んでいきたい」ひとりさんの考え方に賛同し、楽しく学ぶ「ひとりさん仲間」を紹介します!
※今回は「まるかん本社特集」です。
「ひとりさん、私は大丈夫よ…」ひとりさんが大好きだった母が天国に旅立つ前に残した言葉
中学生のころから、女子生徒に大人気だったひとりさん
感謝しています。私は本社のスタッフとして働いています、大塚礼子と言います。ご存じの方も多いかと思いますが、私の姉は芦川勝代社長です。姉妹共々、「まるかん」で楽しく働かせていただいて、もう30年近くの月日が経とうとしています。
今回は、その長い歴史の中から、忘れられない「ひとりさんにまつわるエピソード」をふりかえってみようと思います。
実は、私はひとりさんと同じ中学校に通っていたんです。ひとりさんが私の2年先輩となり、私が中学
1年生になったとき、ひとりさんは3年生でした。
いまでも忘れもしません。私が中学に入り、新しいクラスメイトたちと話をしていると、何人かの女子が、夢見るようなうっとりした表情で、「ある男子学生」のことをウワサしていたのです。「あのね、礼子ちゃん・・・、3年生にね、斎藤一人さんっていう、ものすごくかっこいい人がいるんだよ・・・」。クラスメイトの話では、その「ひとりさん」という人は、端正な顔立ちをした、まれに見る「美少年」だということ。きりりとなだらかに上がった眉、まつ毛の長いすずやかな瞳、ふっくらとした形のいいくちびる・・・。理知的な顔立ちのひとりさんですが、誰かに笑いかけると、ちょっぴりいたずらっぽい愛嬌にとんだ笑顔になり、その姿を見た女学生は、一発でファンになってしまうそうです。
クラスメイトいわく、この「ひとりさん」は、めったに学校に来ないのだとか…(笑)しかし、ごくたまに学校に来ると、「必ず渡り廊下に出てくるのよ!」とクラスメイトたちは息をはずませて言うのです。
そのウワサの「渡り廊下」はガラス張りになっていて、校舎の3階ぐらいにありました。休み時間になり、ひとりさんが友だちと一緒に「渡り廊下」に出てくると、学校中の女生徒たちが、ひとりさんをひとめ見たくて、「キャーツ!!!」と言いながら、みんなで「渡り廊下」に向けて走っていくのです。
「みんな、ひとりさん、出てきたわよ!」。そんなふうにクラスの誰かが叫ぶと、私も親友たちと手をつなぎながら、急いで「渡り廊下」めがけて走っていきました。
あっというまに「渡り廊下」の下は、「ひとりさんファン」の女子生徒たちでいっぱいになりました。そして、ひとりさんが姿を見せると、「わあ!」と歓声を上げたり、拍手をしたり、まるで「映画スター」か「アイドル歌手」が出てきたような大騒ぎなのです。
当の本人であるひとりさんは、そんな女子生徒たちのフィーバーぶりを知ってか知らずか、いつもどおり友人としゃべったり、ふざけたりしていて、「そのことには気が付かないフリ」をしている様子でした。たぶん、気遣いのあるひとりさんのことですから、自分ばかりがこんなに女子生徒から騒がれてしまい、ご友人たちに気を使っていたのではないでしょうか?
ちょっぴり困ったような、テレくさそうな表情をしていた、とびきりの美少年「ひとり少年」。このときのことを、私はいまも鮮明に覚えているんです。
姉の喫茶店「ピクニック」ではひとりさん目当てでお客さんがやってきた
そして、それから数十年後。私はなんと、思いもかけない場所で、ひとりさんと再会するのです。
当時、姉天婦が江戸川区の松島で「ピクニック」という喫茶店を経営していました。ある日、姉が「礼子ちゃん、うちの喫茶店に、ものすごくステキな人が来るようになったの」というのです。
姉が言うには、その人は昼間から喫茶店に来て、本ばかり読んで何時間も過ごしているそうです。何の仕事をしているかはわからないけれど、スカッとした服を着て、乗っている車は、下町では見たこともない「カッコいい外車」なのだとか。
そして、その人は、とにかく物知りな人で、お客さんの「悩み相談」に答えたりするのだそうです。「目鼻だちがハッキリしていて、黒い髪をビシッとオールバックにしているの。それで笑うとふんわりやわらかい笑顔になって、こちらまで嬉しくなるような気持ちになるのよ」。生真面目な姉にはめずらしく、「少女のようにうっとりしたような表情」になって、姉はそんなことを言うのです。
はその「とびきりステキなお客さん」をひと目みたくなりました。「たぶん、今日も来られるとわよ」という姉の言葉を聞き、その日、「ピクニッ行ってみたのです。
しばらくすると、姉が「あ、来られたわ!」と私の肩を軽くたたきました。店に入ってきた「ウワサの男性客」の顔を見て、「あっ!」と私は声をあげそうになりました。
それは中学時代、女子生徒から絶大な人気を集めていた、あの斎藤一人さんだったのです…。私はひとりさんの顔を見たとたん、すぐにご本人だとわかりました。
後日談ですが、「中学時代、クラスメイトの女子生徒から、ものすごい人気だったんですよ」とひとりさんに話すと、ひとりさんは「懐かしいなあ。そんなこともあったっけ…。でも昔のことだから忘れちゃったよ…」とふんわり微笑みながら言ってくれました。
そんなご縁もあり、私たち姉妹とひとりさんは、「ピクニック」でいろいろな話をするようになりました。他愛のない世間話から、仕事の悩み、生き方論、そして「魂の話」まで、ひとりさんを中心とした輪の中で話されることはさまざまだったと思います。喫茶店の中では、自然とひとりさんを中心に話の輪ができ、ひとりさん目当てにお客さんが集まるようになったのです。
当時、ひとりさんは、二つの喫茶店に頻繁に通っていらっしゃいました。それは、姉夫婦のやっていた「ピクニック」と、もうひとつは、はなる社長のやっていた「十夢想家」。ここに集まっていた常連客や店のマスターが、やがて「まるかん」の社長やスタッフとなり、1生共に「ひとりさんのお手伝い」をするようになるのですから…・、「ご縁」というのは実に不思議なものですね。
「あなたの嬢さんはすばらしい方ですね」母に詩をつくってくれた、ひとりさん
姉夫婦がやっていた喫茶店「ピクニック」には、私たち姉妹の母も、たびたび遊びに来ていました。ある日、お店に来ていたひとりさんが、母と二人だけになったときに、なんともいえない優しい声で母に「あなたの娘さんは、すばらしい方ですね」と言ってくださったそうなのです。
「私、あんなにステキな人から、こんなに嬉しいこと、言ってもらったことないわ」と頬を上気させ、大喜びの母。「私、ああいう人、大好き!」と、なんと80代の母までもが、ひとりさんの大ファンになってしまったのです。
私の母は、とても苦労した人でした。幼いころに父親を亡くし、母親が再婚したとたん、「連れ子」として家に居場所がなくなり、12歳で紡績工場の「女エ」として働きに出されたそうです。
ずいぶん前に、若き日の大竹しのぶさんが主演した「ああ野麦峠」という映画がありましたが、この映画のように、当時の「女工」としての暮らしは、かなり厳しいものだったそうです。朝早くから夜遅くまでずっと働きづめで、休みは月に1回のみ。食事は、ごはんにお味噌汁とお漬物といった貧しい給食。夜は工場内の8人部屋で、2段ベッドのひとつが唯一の「自分のエリア」。部屋にはエアコンはおろか、扇風機もストーブもなかったそうです。そして、若い女工の中には、男の上司から「性の暴力」を受けたり、病気になっても、ろくに看病してもらうこともできず、悲惨な最期をとげる人もいたそうです。
そんな環境の中で、必死で稼いだお金を、すべて実家の仕送りにあてていた母。いまの若いお嬢さんのように、オシャレも知らず、友達と連れ立って遊びに行くこともなく、母は「青春のすべて」を過酷な労働で過ごして生きてきたんですね。
そのことを知ったひとりさんは、ある日、母に、「須田はる(※母の名前です)の詩」という詩を作ってくれたのです。
須田はるの詩
しあわせって言っていたら
本当にしあわせになった
大変なこともあったけど
いつもしあわせの方を見つめていたら
しあわせにたどり着いた
しあわせにしかなれない私・・・
ひとり
この詩をもらった母は、飛び上って喜びました。
「長く生きていると、こんなに嬉しいこともあるもんだね」と母は嬉しそうに言い、ひとりさんが書いてくれた詩を額に入れて、それを抱くようにして眠っていたのです。
病院の先生をひとりさんだと思い込み先生の手を握りながら母は旅立った
そんな母も12年前になくなったのですが、母が旅立つときのエピソードがこれまた感動的でした。
母は亡くなる前に、6ヶ月ほど入院していたのですが、私や姉が病院にお見舞いに行くと、「礼子ちゃん、ひとりさんが毎日来てくださるの」と、そんなことを言うのです。ひとりさんは仕事でお忙しいので、病院に来る時間はありません。「なんでそんなことを言うんだろう…・・。母のうわごとかしら・・・」と思っていたら、母の担当になった先生(お医者さん)を見てその理由がわかりました。その先生は、黒い髪をオールバックにして、おヒゲをはやしていて、どことなく風貌がひとりさんに似ているのです。
「ああ、母は先生のことを、大好きなひとりさんだと思い込んでいるんだな・・・・」。それがわかったとき、私と姉は示し合せ、母に対して「その人は、ひとりさんじゃないのよ」とか、野暮なことは言わないでおこう..と思いました。だって、もう余命いくばくもない母なのです。たとえ「母の思い込み」であっても、母が嬉しそうな顔をして、安心して旅立てるのが一番ですものね。
そして、いよいよ、母が天国に旅立つ日がやってきました。母は、ひとりさんに似ている先生の手をぎゅっと握りしめ…・、「ひとりさん、ありがとう。ひとりさん、私は大丈夫、大丈夫よ…」と言いながら亡くなったのです。
私と姉はその姿を見届けながら、「お母さん、よかったね、よかったね…」と言いながら涙がとめどなくあふれました。「人は、大好きな人に抱かれながら死ねたら、本望だ」と言いますが、母はそれが叶ったのです。こんな幸せな旅立ち方はないと思っています。
いま母は天国から、私たち姉妹が、毎日楽しく働いているところを見守ってくれていると思います。「ひとりさん、ありがとう。ひとりさんに出逢ってから、私たち家族は、みんな、幸せにたどりつけました・・・」。母は、そんなふうに言いながら、微笑んでいると思うんです。
本社は「まるかんの司令塔「ひとりさんの教え」をまっすぐ伝えたい!
ご存じの方も多いと思いますが、僕は、舛岡はなゑ社長の実の兄であり、みなさんからは「お兄ちゃん」とか「舛岡のアニキ」と呼ばれて、親しんでもらっています。
「まるかん」の本社では、もう30年以上も働いていますが、一度も「辞めたい」と思ったことはありません。「明日、会社に行きたくないな・・・」と思ったことも一度もないんです。それほど、仕事が楽しくて、楽しくて、たまりません。「まるかん」の中ではあたりまえのことですが、他の会社の人にこう言うと、すっごく驚かれますよね(笑)
ひとりさんと僕が出逢ったのは、妹のはなゑがやっていた「千夢想家」という喫茶店です。当時のひとりさんは、本当にステキでしたよ。アルマーニのスーツをビシッと着こなし、真っ白いジャガーに乗って、物腰はなんて言いますか、とても紳士的でしたね。「黒髪のリチャード・ギア」といった感じでしょうか。笑うとふんわり、やわらかい表情になり、とにかく物知りで何でも知っていたので、妹も僕もうちの両親も、家族全員がすっかり「ひとりさんの魅力」に惹きこまれてしまったかのようでした。
当時、舛岡家の実家には、はなゑの友だちや僕の友だちなど、いろんな人が入れ代わり立ち代わり遊びに来ていたのですが、ひとりさんにもうちに来ていただいて、大勢のお客さんの前で「魂の話」などをしてもらったことがあります。ひとりさんの話を聞いたうちの両親は、すっかり感動し、「ひとりさんは、神さまの生まれ変わりだ!」といった感じで、絶大なる信頼を寄せていましたね。
そんなご縁があり、僕も「まるかん」の本社で働かせていただくことになりました。その日からもう30年もの年月が流れていますが、気持ちはいつも同じです。
僕は、本社の役割は「まるかんの司令塔」だと思っています。すべての隊に本社から支持を出すので、「ひとりさんの教え」を純粋に伝えたい。絶対に、そこからブレてはならない。それはいつも肝に命じています。
この「まるかん」という会社は、ひとりさんの考え方をもとに、すべてが動いています。だからこそ、正確に迅速に、それを伝えたい。それが本社の役割ですよね。そこさえブレなければ、あとはとにかく楽しく、明るく。
こんなすばらしい会社は、日本中にまたとありません。僕は一生、まるかんで楽しく働き、斎藤一人さんという総大将についていくつもりです。
「池ちゃんはとってもやさしい人だよね」注意するときも、「褒め言葉」から入るひとりさん
私が最初に「まるかん」に入ったのは、「パート」とししでした。そのときは子どもが小さかったので、「1日3時間ぐらいの労働で、ちょっと働いてみようかな・・・」ぐらいの軽い気持ちだったのですが、気付くともう30年近くもつとめあげています(笑) この「まるかん」の魅力は何なのでしょうか?自分でもよくわからないのですが、「妙に居心地がいい」。そして「また行きたくなる」。それが「まるかん」という会社の魅力なんだと思うんです。
ひとりさんから言われたひとことで、忘れられない言葉があるんです。私は自他共に認める「毒舌オバサン」で、口がとっても悪いんですね…(苦笑)自分では悪気はないのですが、相手にしてみると、傷つくような言い方をしてしまっていたところがあるようです。
ある日、ひとりさんが、私がしゃべっているのを聞いていて、やさしい声でこんなふうに言ったのです。「池ちゃんはとってもやさしい人だよね」。ふいに褒められて、私はびっくりしました。「・・えっ、そうですか?そんなこともないですよ…・」。テレながら私が言うと、ひとりさんは静かな声でこう言ったのです。「でもね、池ちゃん、その言い方だと、池ちゃんのやさしさが伝わらない。誤解されることも多いから、もっと”やさしい言い方“を工夫した方がいいよ」。「・・・・・」。このひとりさんの言葉は、心にジーンと響きました。
なぜなら、人って注意されるときに、「そういう言い方はやめなよ!」と言われると、意地になって素直に聞けないものですよね。でも、最初に、「池ちゃんはとってもやさしいよね」なんて言われると、心があつたかくほぐれて、「素直に耳を傾けよう•••」という気持ちになるんです。
ひとりさんという人は、「言い方の達人」だと思います。ひとりさんの教えで「言い方上手は、生き方上手」っていう言葉がありますが、それってまさにひとりさんそのものですよね。
だから私たちは、ひとりさんに一度も怒られたことがないんです。注意されるときですら、まるで「褒め言葉」をもらったように心地いい。こんな心地よさがやめられなくて、私は30年以上も「まるかん」にいるのではないかと思うんです。
肩書ききより、「人と人とのつきあい」を大切にする、ひとりさん
私は以前、新小岩に支店がある「某大手銀行」につとめていました。そして、行員として「まるかん」の担当になったところから、みなさんとのご縁が始まったのです。
当時、行員として「まるかん本社」に通っていましたが、時々ひとりさんが本社にいらっしゃることがあると、お茶やお菓子をすすめてくださいながら、私の仕事や人間関係に役立つ、いろいろな話をしてくださいました。ひとりさんはこのように「出入り業者の人」にも、とってもやさしくて親切なんですね。いつも「目の前の人」に役立ちそうなことを、一生懸命話してくださるんです。そんな姿を見て、「ひとりさんファン」が全国で増え続けているのか、その理由がわかったような気がしました。
ある日、大きなホテルで、ひとりさんの講演会があり、「めったにないことだから、」と、私も講演会に誘っていただいたことがありました。すると、その情報を聞きつけた銀行の上司が、「それ、オレが行きたい!」と言い出したのです。なぜなら、銀行員の中では、「斎藤一人さん」というのは、すごく有名だったからです…・。「斎藤一人さんみたいなスゴイ成功者と、お近づきになりたい」。それが上司のホンネだったと思います。
あまりにも上司がしつこく言うので、そのことをひとりさんにお伝えすると、「あなたがどうしても…・というなら、今回は上司を連れてきてもいいけれど、オレは偉い肩書きの人とか、そういう人があんまり好きじゃないの。オレはいつもお世話になっている”あなたに来でほしかったんだよ」とひとりさん。このとき、肩書きより「人と人との付き合い」を大切にされる方なのだと、私にはハッキリわかりました。その後、「河野さん、本社で働かない?」とお誘いをいただき、本社の経理を担当するようになりました。行員時代は「ガチガチの完璧主義」だった私ですが、「まるかん本社」の「楽しく、明るく、ゆるやかな雰囲気」にすっかりハマり、いま毎日会社に来ることが楽しくて楽しくてなりません。
「心で思っていなくていいから『許します』って口に出して言ってごらん」とひとりさん
私は、みなさんから「お父さん「という愛称で呼んでいただき、親しんでもらっています。実は、私は「みっちゃん隊」に所属しておりまして、いま本社さんへは「助っ人」として通わせていただいているんです。
「まるかん」のスタッフになったきっかけは、「ひとりさんファンの集まるお店」に、お客さんとして通いつめていたことがきっかけでした。そのうちに、いろいろお手伝いをするようになり、気が付いたらスタッフになっていた…という感じです。
実は、私は大変な「ガンコ者」で、ちょっとしたことでカーッときてしまう性格だったんです。そんな自分が、本当につい最近まで許せなかったのですが、数年前に、ひとりさんから「もっと自分を許します」という言葉を教えていただきました。「もっと自分を許します、もっと自分を許します…」とずっと言っていたら、ある日、つきものがとれたように、胸のあたりがラクになり、見るものすべてが美しく、以前と同じ生活なのに、まるで天国にいるかのように、心がおだやかになったのです。
そのとき、ひとりさんがこんなことを教えてくださいました。
「自分のことや、誰かのことを、「許せない」って思っているとするよね。そういうときは心がぎゅっと固く閉じているんだよ。でもね、「許します」って言ったとたん、心かほっと、ゆるむの。それでうんとラクになる。許せないことがあると、自分の苦しみが続いてしまうことになるよね。だから、心で思ってなくてもいいから、「詳します」って口に出して言ってごらん。これが言えるだけで、すいぶん心がラクになるんだよ」。
過去のつらい思い出や、家族の問題。自分のことを理解してくれない人たち。そして、思うようにできない自分へのいらだち。
そういったもの、すべて、すべてを「許せない!」と思ってさた私です。
でも、その「許せない」を手放したとき、人の幸せはあふれるように花開くんですね。
私はようやく、この年齢になって、「許せない」という言葉とは無縁の生活を送れるようになりました。あとの人生は、すべて、大好きな斎藤一人さんのために尽くし抜きたいと思っています。
本社の「3匹猫ちゃん物話」
実は7ヶ月前から、本社では「3匹の猫ちゃん」を飼っているんです。母猫と2匹の子猫が捨てられていたのを、スタッフのひとりが拾ってきました。そして、みんなで面倒を見ているうちに、すっかり情がうつり、スタッ/全員でかわいがるようになったのです。猫たちはスタッのひざの上に乗ったり、机の上に乗ったり、ドアの前にちょこんと座ってお客さんを迎えたり・・。見れば見るほ可愛くて、これほどの「癒し」はないと思うぐらいです。
しかし、「一応会社なので、いつまでもここで飼うわけにはいかないな・・・。だれかもらってくれる人を探さなきゃ…・・」と思っていたところ、ひとりさんが本社にやってきました。そして、猫たちに向かって、「おまえたち、かわいいね。ここが気にいったんなら、ずっとここにいればいいよ」とやさしいひと言をかけてくれたのです。みんな、その言葉に、飛び上るほど喜びました。そして、いまではすっかり猫たちは「家族同然」となっています。
猫のことで、ひとりさんから教わったのは、「ごはんをあげるときに、ごはんを入れた器をカンカンカン!とスプーンか何かでたたいてから、あげるといいよ」。このクセをつけておくと、猫を呼びたいとき、ごはんの器を「カンカンカン!」とスプーンでたたくと、それだけで飛んでくるようになるのだとか。また、猫が外に出てしまったときや、うっかり「天井裏」や「縁の下」へ入ってしまったとき、この「カンカンカン!」をやると、「すぐに顔を出すから、すごく助かるんだよ…」とのことでした。
それにしても、「猫のしつけ」のことまで、ひとりさんって、本当に何でも良く知っていらっしゃいますね。かとりさんの愛情、スタッフの愛情をたっぷりもらい、元ですくすくと育った「幸せな猫たち」なのです。
おしらせ
「まるかん」では、お買い上げ金額に応じて「キラキラペンダント」をプレゼントしております。万がー、「キラキラペンダント」に特別な力があると思って商品をお買い上げ下さった方がおりましたら、そういうことはございませんので、商品をお返しいただければ、お金をお返しいたします。
(※未開封・消費期限のあるものに限らせていただきます)
●柴村恵美子社長のホームページが始まりました!
患美子社長の最新情報が溝載です!
●柴村恵美子社長のブログです! 講演会・勉強会の様子ゃ惠美子社長のフアッションチエックなど、ステキて喋しい情報がいっぱいです!
http://ameblo.jp/tuiteru-emiko/
●みなさん力峭れ晴れとスカッと幸せに生きられるよう、全力で応援していきます! 斎藤一人
舛岡はなゑ ふとどきふらちな女神さま http://ameblo.jp/tsuki-4978/
●真由美社長がブログを始めました。 センス抜群のコ-デイネイト、バッグ、アクセサリーの使い方は必見! ひとりさんから教わった「オシャレの極意」もステキです!
宮本真由美芸能人より目立っ!!365日モテモテ▽コ-デイネイト』 http://anieblo.jp/mni4900/
●ライターの田宮陽子は、ただいまプログをゃっています。 「ひとりさんの最新のお話J 「取材のこぼれ話jなど、楽しいエピソードを毎日更新しています!
斎藤-人・田宮陽子晴れになっても雨になっても光あふれる女性でいよう! http://ameblo.jp/tsumakiyoko/