今月のひとりさんのお話
これからは「余興のまるかん」でいこう!
いま、ひとりさんがいろんなところで言っているのは「これからは余興のまるかんでいこう」っていうことかんだよね。
オレが何度も何度も言うことって、ホントに大事」ことなの。でも、なんでも「温度差」ってあるからね「余興って、本当にすごいんだよ!」っていうことをしっかり理解している人もいるし、その意味が、いまち理解できていない人もいると思うんだよね。
今回は、なんでこんなに「余興がすごいんだよ!」って、ひとりさんが言っているのか、その理由をできるだけわかりやすく話してみようと思うんです。
まずね…、これからの時代、仕事で成功するにしても、豊かになるにしても、「楽しさ」というものが、ひとつのキーワードになるんです。
20世紀までは「がんばる時代」、そして「努力の時代」でした。
ところが21世紀では、それではもうダメなんです。「時代の波動」というものが変わったんです。
いままでみたいに無理してがんばったり、すごい努力をしなくても、「楽しいムード」というものを出してワイワイやっていれば、「人」も「お金」も集まってきて、いつのまにか豊かになって、幸せになっている。
21世紀っていうのは、そういう時代なんです。
それでね…、いまの「まるかん」で、「みんなで楽しいムードが出せるものが何かな?」って考えたときに…、「余興」がいちばんいいんです。
オレがこう言うと、「ただ踊っているだけで、みんなの持ちが明るく楽しくなるんでしょうか?」っていうもいるかもしれないけれど…、実は「楽しい」の「楽」っていう字は、「人がふりそでを広げて踊っているころ」を文字にしたんだよ。みんなで踊っているだけ楽しくなってきちゃうの。
特に、ひとたび舞台に立って、スポットライトを浴びなから踊ると、それだけで「不思議な自信」が出てくるです。みんなから声援とか拍手をもらうと、「ああ、オレって、必要とされているんだ…」っていう自己重要感をしみじみ感じるのね。その感覚が、クセになっちゃうほど楽しいの。「もう一回やりたい!」って思うほど、やみつきになるの。
それから余興って、練習もあるよね。またその練習が楽しいんです。みんなで集まって、ワイワイ言いながら、「ああしよう、こうしよう…」って相談していると、チームに連帯感が出てきて、いままで以上に「仲間意識」や「絆」が芽生えてくるんだよ。
「でも、余興をやっていても、1円にもなりませんよね。そんなんで店の売り上げって上がるんですか?」っていう人がいるかもしれないよね。
ズバリ言うけど…、余興を楽しくやっていれば、売り上げも必ず上がります。なぜなら、同じ値段の商品を買うときに、人は「楽しいムードのお店から買いたい!」って思うものなんです。余興をやっていれば、お店の中に「楽しいイキイキした波動」が満ちてくるの。そういう店には、自然とお客さんが寄ってくるんです。
余興ってね、みんなが考える以上に、すごいんだよ。
余興って、「神ごと」なの。
日本の神話に「天岩戸伝説」ってあるんだよね。
「アマテラスオオミカミ」っていう太陽の女神さまがいたんだけど…、弟があまりに乱暴者なんで、ある日、アマテラスさんは心を痛めて、「天の岩戸」っていう岩の中に閉じこもっちゃったんだよ。
「太陽の女神」が隠れちゃったことで、この世はまっくら闇になっちゃったんだよね。それで困り果てた八百万の神が、みんなで岩戸の前に集まって、アマテラスさんが出てきてくるように、いろんなことをしたのね。珍しい鳥を集めて鳴かせてみたり、「勾玉」をいっぱい作って、祝詞をとなえたり・・・。それでもアマテラスさんは、いっこうに出てこなかったの。
最後に「アメノウズメ」っていう女の神さまが、「天の岩戸」の前で、おもしろおかしい踊りを始めたのね。アメノウズメさんが足をふみならし、胸をはだけて、ユーモアたっぷりに踊っていたところ、それを見た「八百万の神」たちが笑い転げたんだよ。
すると、みんなの「笑い声」につられて、「アマテラスオオミカミ」が、「天の岩戸」から顔を出したの。アマテラスさんはこう言ったんだよ。「あのう…、なんで、みんなは笑っているんですか?」。アマテラスさんはそれが知りたかったんだよね。
アマテラスが出てきたとたん、この世の「聞」は消え、ふたたび「太陽の光」でサンサンと照らされるようになったんだよ。
この神話からもわかるように…、オレたちの心はね、「楽しいことがあったときにパッと開く」…そういうふうに神さまが作っているんです。
だから、他のこと(楽しくないこと)をいくらやってもダメなんです。
「余興」って、ただの「出しもの」じゃない。
みんなの心をパッとひらく「神ごと」なんですよ。
そして楽しく「余興」をやっていれば、自然と売り上げも上がるし、お店も繁盛する。
「まるかん」のみんなが、幸せで豊かになる一番の近道は「余興」なんだよ。
今回の話は以上です。ありがとうございました。
ひとり
「ひとりさんについていきたい!」
ひとりさんの考え方に賛同し、楽しく学ぶ「ひとりさん仲間」を紹介します!
16歳のころに出逢ったひとりさん暴走族だった僕に、「人生のすべて」を教えてくれた。
日本人離れしたシックス、一部の隙もないオシャレひとりさんが商店街を歩くと「うわあ!」と歓声が上がった!
感謝しています。ご存じの方も多いと思いますが、僕は「ひとりさん専属カメラマン」として有名な(!?)通称「チャコちゃん」です。すっかり「チャコちゃん」という呼び名が定着しているので、みなさん、僕の本名を知りませんよね(笑) 以前、まるかんのスタッフさんに地方のホテルをとっていただいたとき、「チャコちゃん」で予約していただいたようで、受付の女性のスタッフさんに「チャコちゃんさま、チャコちゃんさま」と呼ばれて、恥ずかしいやら大笑いするやら…(笑) こうやって本名でお話させてもらうのは、初めてのことですね。
さて、僕とひとりさんの出会いは、もう40年以上も前のことになります。僕が16歳、そして、ひとりさんが26歳の時でした。
僕は、地元でも有名な「エリート一家」の末っ子として生まれました。兄も姉も勉強がよくできて、優秀だったのですが、僕ひとり、大の勉強ギライでした。ようやく入った高校も1カ月で中退。その後、家出して、東北で「土方」と呼ばれる肉体労働をして、なんとか食いつないでいました。
ところが、当時、土方の人たちは「タコ部屋」と呼ばれる10畳ぐらいの部屋で、雑魚寝状態で寝泊まりしていたんですね。作業から帰ってくると、みんなで北同風呂に入って汗を流すのですが、土方仲間の先輩で、同性愛者の人がいて、すっかり僕のことを気に入ってしまったようなのです。
お風呂に入るときや、布団で寝ているときに、僕は本当に何度も襲われそうになりました。「ここにいたら、いずれあの先輩にヤラれてしまう…」と不安になった僕は、その仕事場を飛び出し、地元の新小岩のほうに戻ってきました。そして、知り合いのラーメン屋さんをたずね、住み込みのアルバイトとして働かせてもらうようになったのですが…、実は、そのラーメン屋さんのそばに、ひとりさんが住んでいたのです。
いやあ、当時のひとりさんは、ものすっごくカッコよかったですねえ。色白で日本人離れした顔をして…。「当時のひとりさんは、誰に似ていましたか?」と人から聞かれたときに、僕がまっさきに思い浮かべたのは、「若いころのアランドロン」です。「太陽がいっぱい」という映画に出ていたころの精悍な雰囲気がぴったりですね。ハンサム中のハンサムというか、男性美の象徴」のような存在。本当に輝くような美男子ですた。
そして、当時からひとりさんは、「一部の隙もないオシャレ」をしていました。近所の喫茶店に行くときでさえ、いつもポマードできれいに髪をなでつけ、ビシッとオールバックにしていました。夏はまっしろい麻のジャケットにポルサリーノのハット。粋でいなせで、オシャレな外国映画の中から飛び出したようで…、普通の人にはありえないオーラというか、まばゆい輝きを放っていました。
大げさでも何でもなくて、ひとりさんが新小岩の駅から商店街のアーケードを歩いてくると、女性たちから「うわあ!」と歓声が上がったほどです。
ひとりさんは納税日本一になってから全国的にも超有名人になりましたが、実はそのずっと前から、地元ではかなり有名な存在だったんです。
当時のひとりさんは、僕が働いていたラーメン屋にもしょっちゅう顔を出していて、僕は自然とひとりさんと言葉を交わすようになりました。僕のような若造にも、いつも親切に気さくに声をかけてくれて、そして、とにかく物知りな人でした。
このひとりさんと僕が、公私共に、なんと40年以上もの付き合いになろうとは…、そのときの僕には想像もできないことでした。
「お前を慕ってくれている人と逢うときはきちんとした格好をしていくのが礼儀だよ」
僕は当時、地方にガールフレンドがいたのですが、ある日、そのガールフレンドが突然、僕に逢いにきてくれたことがあったんです。「いやあ、今日は店が終わったら、彼女とデートするんです」。たまたまラーメン屋に来ていたひとりさんに、そんなふうに言うと、ひとりさんは「チャコ、それはよかったね!それじゃあ、彼女に美味しいものでもご馳走してあげな」とお財布をひらいて、当時の僕からすると、かなりの額のお小遣いをくれたのです。
僕はすっかり恐縮してしまい、「いえいえ、ひとりさん、そんなつもりで言ったんじゃないですから…」と断ろうとすると、ひとりさんはこんな話をしてくれました。
「チャコな、誰かからお小遣いをもらったら、それ断っちゃダメだよ。オレはチャコが可愛いし、チャコの彼女にも良くしてあげたいから、応援料として軍資金をあげたんだよ。そういうときは「ありがとうございます」って、ありがたく受け取ればいいんだよ。
あのな、チャコ、世の中には「お金の流れ」っていうものがあるの。それでね、その「お金の流れ」って、小さな流れがいっぱい集まって、大きな流れになっているんだよ。お小遣いをもらうような「小さな流れ」であっても、いちどそれを断ってしまうと、その人の全体の『お金の流れ』に滞りが出ちゃうんだよ、わかるかい?だから、お小遣いをくれるっていう人がいたら、お礼を言ってありがたくいただく。それでいいんだよ」。
僕はひとりさんからいただいたお小遣いをあがたくいただきました。そして、ラーメン屋の仕事着(白い作務衣のような上着とニッカズボン)の+外に出ようとすると、ひとりさんがまた口を開いのです。
「チャコ、ちょっと待ちな。おまえ、その格好でデートに行くのかい?」。
僕が「あ、はい、そうですけど…」と答えると、びとりさんはこんな話をしてくれました。
「チャコ、あのな…、おまえを慕ってきてくれている人に逢うときは、どんなに忙しくても、それなりのきちんとした格好をするのが礼儀だよ。おまえだって、ジーンズにボタンダウンのシャツぐらい持っているだろ。それに着替えて、髪もちゃんととかして、それから逢いにいきな。彼女をガッカリさせるなよ」。
ひとりさんのアドバイスに従って、僕は急いで家に戻って、着替えてからデートに行きました。このときのひとりさんの言葉は、何十年経っても、ずっと胸に残っています。確かにひとりさんは誰と逢うときも、頭のてっぺんからつま先まで、きちんとした格好をしていますよね。「逢ったら、そうでもない人だった・・・」などと、相手をガッカリさせることは絶対にありません。だからこそ、みんな、ひとりさんに憧れてやまないし、逢えば逢うほどファンになっていくのでしょう。「自分を慕ってくれる人と逢うときは、きちんとした格好をするのが礼儀」という、ひとりさんの美学を見たような気がしました。
病院の先生をひとりさんだと思い込み先生の手を握りながら母は旅立った
告白すると、当時、僕は「暴走族」に入っていたのですが、暴走族仲間のあいだでも、ひとりさんは大人気でした。
ひとりさんは当時、まっしろい「センチュリー」という大型の高級車に乗っていました。そのセンチュリーを町で見かけると、僕たちはバイクでその後をずっとつけていくのです。
ひとりさんは当時、「帝国ホテル」や「山の上ホテル」など、一流ホテルに毎日のように出かけ、ホテルのフレンチレストランで夕食を食べたり、バーでお酒を飲んだりしていました。そして僕たちが一緒にホテルに行くと、「みんなも食べな」「遠慮しなくていいんだよ」と、暴走族仲間全員にご馳走してくれました。
僕は当時、山の上ホテルで出してもらった「エスカルゴの料理」の味が忘れられません。フレンチの高級食材「エスカルゴ」など、それまでの僕の人生では無縁のもので、見たことも食べたこともありませんでした。成功者だけが行けるような一流ホテル、ウエイターがうやうやしく給仕してくれるフレンチレストラン、シャレたフランス料理の味…、すべては、ひとりさんが教えてくれた、ワクワクするような「未知の世界」だったのです。
スカッとした服を来て、高級車の助手席にはとびきりキレイな女性を乗せて、一流ホテルにさっとスマートに乗り付けるひとりさんの姿。暴走族仲間も全員ひとりさんに慣れていたと思います。「どうしたら、こんなにすごい男になれるんだろう…」。
「ひとりさんみたいな男に、少しでも近づきたい…」。当時のひとりさんの姿は、僕たち若者にとって、まさにドリームそのものでした。
母は亡くなる前に、6ヶ月ほど入院していたのですが、私や姉が病院にお見舞いに行くと、「礼子ちゃん、ひとりさんが毎日来てくださるの」と、そんなことを言うのです。ひとりさんは仕事でお忙しいので、病院に来る時間はありません。「なんでそんなことを言うんだろう…・・。母のうわごとかしら・・・」と思っていたら、母の担当になった先生(お医者さん)を見てその理由がわかりました。その先生は、黒い髪をオールバックにして、おヒゲをはやしていて、どことなく風貌がひとりさんに似ているのです。
「ああ、母は先生のことを、大好きなひとりさんだと思い込んでいるんだな・・・・」。それがわかったとき、私と姉は示し合せ、母に対して「その人は、ひとりさんじゃないのよ」とか、野暮なことは言わないでおこう..と思いました。だって、もう余命いくばくもない母なのです。たとえ「母の思い込み」であっても、母が嬉しそうな顔をして、安心して旅立てるのが一番ですものね。
そして、いよいよ、母が天国に旅立つ日がやってきました。母は、ひとりさんに似ている先生の手をぎゅっと握りしめ…・、「ひとりさん、ありがとう。ひとりさん、私は大丈夫、大丈夫よ…」と言いながら亡くなったのです。
私と姉はその姿を見届けながら、「お母さん、よかったね、よかったね…」と言いながら涙がとめどなくあふれました。「人は、大好きな人に抱かれながら死ねたら、本望だ」と言いますが、母はそれが叶ったのです。こんな幸せな旅立ち方はないと思っています。
いま母は天国から、私たち姉妹が、毎日楽しく働いているところを見守ってくれていると思います。「ひとりさん、ありがとう。ひとりさんに出逢ってから、私たち家族は、みんな、幸せにたどりつけました・・・」。母は、そんなふうに言いながら、微笑んでいると思うんです。
地元の喫茶店で大人気だったひとりさん誰かになにか質問されると読んでいる本をすぐに閉じて、「なんだい?」
当時は、一流ホテルに毎日のように出かけていたひとりさんでしたが、地元の喫茶店のような気さくな場所にも、よく通っていました。
当時は、ファミレスもなく、スターバックスのようなコーヒーショップもありませんでした。ですから、「喫茶店」が唯一の休憩所であり、コーヒーと軽食をとれるところであり、みんなの社交場でもあったのです。
ひとりさんが喫茶店に行くと、とにかく物知りの人ですから、自然とみんなの悩みや相談に答えていることがよくありました。「私、うちの嫁とあわなくてねぇ…」と嫁姑問題を相談する人もいれば、「この会社の株は買った方がいいのかしら…」と経済の質問をする人もいます。他愛のない世間話から、身の上相談、仕事の悩み、生き方論まで、ひとりさんを中心とした輪の中で話されることはさまざまでした。
そんな中、ひとりさんの対応を見ていて、僕はハッとさせられたことがあるんです。喫茶店で、ひとりさんはいつもひとりのとき、必ず本を読んでいたのですが、誰かが「あ、ひとりさん、私、相談があるのよ」と話しかけてくると、ひとりさんはすぐに本をパタン!と閉じて、「はい、なんだい?」と相手の話を聞くのです。
普通、集中して本を読んでいたら、誰かに話しかけられたとしても、「もうちょっと待ってね。この章を読み終わってからね」とか言いますよね。でも、ひとりさんはそういうふうに、相手に「待った」をかけることは一度もなかった。「本はヒマなときに読むものだからね。それよりも目の前の人を大切にしたいから…」。そんなふうにあたりまえのように語っていた26歳のひとりさん。もちろん、相談を受けたからといって、お金をもらうわけではありません。僕のように年下の者はもちろん、ひとりさんは、自分の親ほどの年齢の人からも絶大な信頼がありました。
みんなからの相談を受けて、どんな質問にも丁寧に、決して押し付ける言い方ではなく、相手が自然と聞きたくなってしまうような言い方で、次々と答えていたあの姿。僕の胸に、いまもくっきりと焼き付いています。
「チャコ、オレの姿を撮ってくれないかい?」ひとりさんに声をかけらえて専属カメラマンに
僕はラーメン屋の仕事は数年でやめ、20代の後半まで、別の仕事についていました。そんなある日、ひとりさんから電話がかかってきたのです。
「チャコ、オレって変わり者だから、突然、変わったことを言うよな。だから、変わった話だと思って聞いてほしいんだけど…。これから、うちの会社(まるかん)も、ただ商品を売るだけじゃなくて、『精神的な教え』も一緒に提供していくことにしようと思ってるんだよ。それでね、『オレの教え』を伝えていくことになったとき、教材ビデオが必要になるから、それをチャコにとってもらいたいの。オレはプロのカメラマンに頼むんじゃなくて、オレのことをある程度知っている人に撮ってもらいたい。チャコはプロのカメラマンじゃないけれど、カメラが好きでいつも写真を撮っているから、きっとオレが頼んだことができると思う。チャコ、どうだろう、やってくれないかい?」。
僕はすぐに「ぜひ、やらせてください!」とひとつ返事で引き受けました。16のときから憧れ続けたひとりさんに声をかけてもらうなんて、こんな光栄なことはありません。
その日から、僕はひとりさんの「専属カメラマン」となりました。いままで数えきれないほどの映像を撮ってきたと思います。
これは人に聞いたことですが、ひとりさんは僕の撮った映像を、ひとつ残らず、すべて見てくださっているそうです。そして、自分の話の間や内容、お客さんの反応などをすべてチェックして、納得いかないところは、必ず次に話すときのテーマにして、「改善」を繰り返しているのだとか。ひとりさんは、自分が勉強したり、努力をしているところを人には見せませんが、陰ではものすごく勉強しているし、日々、努力を惜しみません。だからこそ、あんなに大勢の前で、みんなを大笑いさせたり、感動させたり、すべての人の心にジーンと響く話ができるんですよね。
僕はこれからもひとりさんを撮り続けます。
「チャコが撮ってくれているから、安心して話せるよ」。ひとりさんにそう思ってもらえたら極上の喜びです。まるかんの「縁の下の力持ち」のような存在で、ひとりさんを一生、支え続けたいと思っています。
「やさしい、やさしい、木いちごの花」のような存在で芦川隊を支え続けたい!
商店街で見かけた、「ズぬけてかっこいい男性」それが、「まるかん」の大社長、斎藤一人さんだった!
感謝しています。私は芦川隊の本部のスタッフで、安達眞規子と申します。芦川隊では「安達ママ」とみなさんから呼んでいただき、親しんでもらっています。「まるかん」のスタッフとなり約30年となりますが、実は、ひとりさんのことは、入社前から新小岩の商店街で見かけて覚えていました。
あれはもう30年以上も前のことですが、主人と二人で新小岩の商店街を歩いていると、向こうの方から「ズぬけてかっこいい男性」が歩いてきたのです。
映画俳優のように端正な顔立ち、歌舞伎役者のようなゾクゾクする色気、光り輝くようなものすごいオーラ…、ひと目で「この人、普通の人ではない!」と思いました。
その男性は、私と目があうと、「ニコッ」と笑ってくれたのです。私はもう、その瞬間にノックダウン…(笑)主人と歩いていることもすっかり忘れて、ひとりさんに釘づけになり、ボーッと夢見心地になってしまったのです(※後で主人から、「オマエ、いいかげんにしろよ….」と言われましたが(笑))。
後に「まるかん」の仕事を手伝うようになり、「あれがうちの大社長よ」と勝代社長から教えてもらったとき、ひとりさんをひと目みて、「ああ、あのときの人だ!」とすぐにわかりました。
それほど、ひとりさんは新小岩の街でも目立つ存在だったのです。
正直言いますと、「まるかん」の女性スタッフも、特約店さんも、お客さんも、すべての女性が、ひとりさんに恋しているのではないでしょうか? 「ひとりさんって、どうしてそんなにモテるんでしょうか?」と人から聞かれることがありますが、私なりに素直な見解を述べさせていただきますね。
その答えは…「誰に対しても、女性扱いしてくれるから」。目があえば、ニコッと笑ってくださる。そして、何か仕事をしているところを見ると「がんばってるな」「今日はキレイだな」「それ、大丈夫かい?」と常に気遣ってくださる。
そして、ここがポイントだと思うのですが…、ひとりさんに何かをお話したとき、第一声は必ず、「それはいいね」なんですよね。
どういうことかというと…、例えば、女性が「昨日、私、ネイルサロンに行ってきたんです」と言うとしますよね。そうすると、男性の中には、「ツメを塗ったりなんかして、くだらないものに金使うのやめろよ」とかいうふうに、頭ごなしに否定的なことを言う人がいますよね。
ところがひとりさんの場合は、「それはいいね。ツメがきれいになると、気分もアガって楽しくなるよね」っていう感じで、必ず相手がやったことを褒めてくださって、肯定してくれる。これって女性のみなさん、たまらなく嬉しいものですよね。
とにかく、ひとりさんと違ってしまうと、小学生の女の子から、90代のおばあちゃままで、みんながいっぺんでファンになってしまう。
すべての女性がとりこになってしまうような「ものすごい魅力」が、ひとりさんにはあふれているんですね。
「商品と一緒に、愛情も売るんだよ」
ひとりさんから教わったことで忘れられない言葉があります。それは、「商売っていうのはね、商品だけじゃなくて、心も売るんだよ。愛がなきゃダメなんだよという言葉なんですね。
ひとりさんはこんなお話をしてくださったんです。
ひとりさんはこんなお話をしてくださったんです。
「商売っていうのは、お客さまの役に立つことなんだよ。商品と一緒に『愛情』も売るんです。それでね…、『愛』とは、相手のことをまっさきに考えることなんだよね。
例えば商品を売るときも、「この人が本当に欲しがっているものは何だろう?」「この人の悩みが、少しでもなくなるようにしてあげたいな…」「この人が家に帰ったとき、心がちょっとでもラクになっていれいな…」。そういうふうに相手のことをまっさきに考えて接客することが愛だよね。
でも、『この商品をどうしても売りたいから』っていうのは、自分のことを優先して考えているんです。そういうのは「愛』じゃないの。「アイマン」(エゴ・自分を優先に考えること)っていうんです。
この「愛」と「アイマン」はぜんぜん違うんだよ。
それで、これからの時代は「愛の接客』ができるお店しか残らない。
これはお店に限らず、すべての人間関係がそうなんだよ」。
私はこのお話を聞いて、すべての特約店さんに「伝えたい!」と思ったと同時に、自分の仕事のことに置き換えてもいました。
私たち、本部のスタッフは、特約店さんの相談相手であり、頼れる母親だったり、父親だったり、気さくな「アニキ」「アネキ」のような存在ですよね。
本部が、何か対応させていただくときも、「愛」でそれをやりたい。特約店さんに商品をおろすだけでなく、「愛」も一緒におろしたい。本部の都合を優先するのではなく、特約店さんの心をまっさきに考えられる人でありたい。
僭越ながら、本部のスタッフとして、ひとりさんのお話の中から、そんなことをしみじみ感じたのです。
ひとりさんが作ってくれた詩「やさしい、やさしい、木いちごの花」
このことは初めて話すことですが…、実は私、ひとりさんに詩を作っていただいたことがあるんです。
芦川政夫社長が、「うちの安達にも詩を作っていただけませんか?」とひとりさんに頼んでくださって、ひとりさんからいただいたのが、こんな詩だったのです。
安達眞規子の詩
春風に 心まどろむ ひとときは
やさしい やさしい 木いちごの花
この詩をいただいたとき、私は飛び上って喜びました。ひとりさんから、この詩の意味を詳しく聞くことはなかったのですが、私なりにこう解釈しているす。
「木いちごの花」というのは、そんなに大きな花ではありませんが、そばにあるとホッとして嬉しい。ベランダとかにあると、人の心がなごみますよね。そして花が咲いた後に、赤くて可愛い実もなって、それもとっても楽しみです。
うまく言えないのですが…、私に「木いちごの花」のような存在になってほしい…という、ひとりさんの気持ちが込められているように思いました。特約店さんにとって、そばにいると心がなごむ存在、芦川社長にとって、おそばにいるとホッとする存在・・・。そういうふうな人になれたらいいなあ…・・といつも思っているんです。
私はこれからも芦川隊を全力で支え続けます。そして、新小岩の商店街でひと目惚れしたあの日から…(笑)、大好きな大好きな斎藤一人さんに、一生ついていきたいと思っています。
おしらせ
「まるかん」では、お買い上げ金額に応じて「キラキラペンダント」をプレゼントしております。万がー、「キラキラペンダント」に特別な力があると思って商品をお買い上げ下さった方がおりましたら、そういうことはございませんので、商品をお返しいただければ、お金をお返しいたします。
(※未開封・消費期限のあるものに限らせていただきます)
●柴村恵美子社長のホームページが始まりました!
患美子社長の最新情報が溝載です!
●柴村恵美子社長のブログです! 講演会・勉強会の様子ゃ惠美子社長のフアッションチエックなど、ステキて喋しい情報がいっぱいです!
http://ameblo.jp/tuiteru-emiko/
●みなさん力峭れ晴れとスカッと幸せに生きられるよう、全力で応援していきます!
斎藤一人・舛岡はなゑ ふとどきふらちな女神さま http://ameblo.jp/tsuki-4978/
●真由美社長がブログを始めました。 センス抜群のコ-デイネイト、バッグ、アクセサリーの使い方は必見! ひとりさんから教わった「オシャレの極意」もステキです!
宮本真由美芸能人より目立っ!!365日モテモテ▽コ-デイネイト』 http://anieblo.jp/mni4900/
●ライターの田宮陽子は、ただいまプログをゃっています。 「ひとりさんの最新のお話J 「取材のこぼれ話jなど、楽しいエピソードを毎日更新しています!
斎藤-人・田宮陽子晴れになっても雨になっても光あふれる女性でいよう! http://ameblo.jp/tsumakiyoko/