特別企画「ストーリー占い特集!!
今月のひとりさんのお話
「まるかん」とは、「幸せな人をつくる会社」です
今回は、改めて「まるかん」という会社は、 どういう会社なのかをお話しますね。
「まるかん」という会社は、サプリメントや化 粧品を販売するだけでなく、「幸せな人をつ くる会社」だと思っています。
人は、幸せになるために、体と心の「健康」 が欠かせません。体が健康でなければ、仕事 もできないし、仕事をしたとしても続かない ので、お金も入ってきません。
また、心が暗くジメジメした考え方では、 友達もできないので、寂しく、孤独になってし まいます。すぐにケンカになったり、トラブル になることが多いので、人間関係も悪くなる 一方です。
ですから、「健康でいる」ということは、仕 事の面でも、お金の面でも、人間関係の面で も…・・、すべての面で幸せになるための「絶対 条件」だと私は思っています。
さて、健康でいるためには、どうしたらいい でしょうか?
健康でいるためには、「健康のしくみ」を知 ることです。
人の体は、「肉体」と「心」でできています。 「肉体」は、「栄養のバランス」で成り立ってい ます。その人の体にあった栄養を食事から摂 るのが理想的です。万が一、栄養のバランスを崩してしまった場合、いまの時代、サプリメン トで補うのもひとつの方法だと思います。
もちろん、具合の悪い人は、お医者さんと 相談しながら行うといいですよね。
さて、「心」ですが、これは「ストレス」という ものが大きく関わっています。「ストレス」があ ると、心がくもって(汚れて)しまい、その人が 本来持っている、やさしさや愛情、魅力や才能 が十分に発揮できなくなってしまうと私は 思っています。
「ストレス」を軽くするために、まるかんで は「無料カウンセリング」というものがありま す。「ストレスを減らす考え方」を教えてくれ るので、その考え方を知れば、いつでも自分で ストレスを軽くして、心をほっとラクにするこ とができると思います。
また、私は「占い」というものに興味があ り、昔から、手相・人相・運命学といろいろな占 いを私なりに研究してきました。
その結果、まったく新しい「ストーリー占 い」というものに到達しました。
この世には、いろんな「占い」がありますが、 人を怖がらせたり、おどかしたりする「占い」 は、ひとりさんは好きではありません(笑)。
「占い」とは、その人の心を明るく楽しい方 向へ導くもの、「占い」をきっかけに人生が好転していくことが理想だと私は思っています。
「まるかん」の「ストーリー占い」は、ご希望 の方に、その人の過去・現在・未来を無料で占 うものです。これは、「まるかん」で認定された 「ボランティア・カウンセラー」が、“無償の愛” で、その人の幸せを願いながら占ってくれるも のです。
特にいま、「ストーリー占い」を受けて、「も のすごく感動した!」という喜びの声が続々 と届いています。「いままで受けたことがない 占いで、ピタッと当たって、びっくりした!」と か、「ずっと苦しかった心が、ほどけるようにラ クになった!」とか、「どうして、誰にも言って こなかった私の気持ちがわかるの!」と、受け ている最中に涙を流す人もたくさんいるので す。
そういう体験談を聞くたびに、「これは、最 高の人助けになるな」とひとりさんは嬉しく 思っています。
それなので、今回の「ひとりさん通信」は、 「ストーリー占い」の体験談特集にしようと 思いました。
ひとつひとつ、すばらしい体験談です。
どんな人にもあてはまるものがあると思う ので、楽しみに読んでくださいね。 ひとり
みんなの 「ストーリー 占い」の体験談をお話します!
「あまりに当たるので、びっくりした!」
「受けてすぐに涙があふれて止まらなくなった・・・」
「受けた後、 人生が驚くほど好転した!」
お金の問題も、息子のひきこもりも、 すべては「ストーリー占い」が解決してくれた
※この話を聞いて、「何かの宗教」だと思わないでくださいね。一人さんは「宗教」とは、まったく関係ありません。
自己破産して、六畳一間で 家族4人が雑魚寝する生活に
僕たち夫婦は、いま富山県で、まるかんのお店「表佳代若返 り対策研究所」をやっています。
一人さんの「ストーリー占い」と出逢い、お客さんに無料のボ ランティアでやってあげるようになってからというもの、本業の 商売がびっくりするほどうまくいくようになりました。
この「ストーリー占い」は、その人の過去・現在・未来に渡って 占うものです。それが「人生のストーリー」のように現れ、いき づまった人生の道をぐんぐん開いてくれるのです。
僕たちのお店は「ストーリー占い」を始めてから不思議と成 功するようになり、なんと、ひと月に3千万円もの売り上げを 出すことができました。念願のマイホームを建て、まっしろいべ ンツも買うことができました。
こんなにすばらしいことが起きるなんて、僕たち夫婦にとっ 「想像もしなかった奇跡」としか言いようがありません。
なぜなら、僕たち家族は、人には言えないような「事情」を 抱えていたから…。昔の「ええかっこしい」の僕なら、いまから お話するようなことは絶対に隠していたことでしょう。しかし、 あえて今回は、「ストーリー占い」のすごさを証明するために、 みなさんにお話したいと思います。
僕の両親は、僕が生まれる前から商売をしていました。当 時、両親の会社は景気が良くて、僕は何の苦労も知らずに育ち ました。学生時代は、正直、女の子にもよくモテました。なんと 女子生徒のあいだで、僕を隠し撮りした写真が売られていたこ ともあったくらいなんです(笑)・・・。とにかく、幸せな日々を送っ ていました。
そして18歳のころ、妻の佳代に出逢いました。 出逢ってすぐに結婚し、子どももすぐに生まれました。僕たち夫婦は20 代前半で二人の息子の親となり、すべてが順風満帆でした。
ところが、そんな毎日が一転する出来事がやってきました。 両親がやっていた会社が、突然、倒産したのです。息子の僕も 保証人として、ハンコを押していました。両親の作った負債が、 銀行に何千万円あり、それ以外にも、親戚に多額の借金があり ました。
当時の僕たちには、とうてい返せる金額ではなく、もう「自 己破産」をするしかありませんでした。自己破産すると、自宅 も車も、持っているものは、すべて手放さなくてはなりません。 僕たち家族は、住むところがなくなり、佳代の実家のおばあ ちゃんが住んでいる、古い「長屋」のようなところに転がり込み ました。6畳一間に家族4人が雑魚寝し、そこで生活する日々 が始まったのです。
僕は人生初の「挫折」に、立ち直れないほどショックを受けま した。妻の佳代にも、子どもたちにも申し訳なくて・・・。親戚に も、友人にも、世間にも、顔向けできないほど恥ずかしくてた まらない……。「いっそこの世から消えてしまえたら、どんなにラ クだろう…」と思ったくらいです。
しかし、佳代は、そんな中でも笑顔を絶やさず、日曜日も祝 日も、休みなしでくるくると働いていました。「きっと、どうに かなるちゃ! もうすぐ、私たち家族を幸せに導いてくれる “人生の師匠”のような人が、出てくるような気がするんや よ」。そんなふうに、真剣なまなざしで言って、僕に笑いかける のです。
僕は、佳代の言うことは、「ただのなぐさめ」だと思って聞い ていました。しかし、佳代の言うことは本当だったのです。僕た ちの“人生の師匠〟となる、一人さんとの出逢いが、この後に待っ ていようとは…。そのときの僕は思ってもみませんでした。
朝から晩まで、休みなしに働いても 生活はちっともラクにならない
僕は、親戚の紹介で鉄工所に勤めるようになりました。重い鉄 材を持ち上げる仕事をぶっつづけにやっていたら、腰痛がひどく なり、まともに歩けないほどの痛みに苦しむようになりました。
そこで、自分の腰を治すために、マッサージを習い始めました。 マッサージの先生を見つけて、佳代と二人で生懸命習い、夫婦で マッサージ業を始めることになりました。
朝から晩までマッサージの仕事をして、日曜日も祝日も働いて も、生活はちっともラクになりません。当時、長男は3歳半、次男 は1歳半でした。幼い子どもたちと遊んでやる時間もとれず、寝 るときぐらいしか、かまってやることができなかったのです。
サラリーマンの友だちが、日曜日や祝日に、家族を動物園や 遊園地に連れて行くのを見て、どこにも連れて行ってやれない 自分の家族が不憫でたまりませんでした。「両親の会社さえ、倒産しなければ・・・」「佳代はなんで僕みたいなヤツと結婚して しまったんだろう。まるで苦労を背負うために結婚したみたい だ…」。そんなふうに両親や自分を責めては、どうしょうもな くイライラし、僕の心は爆発寸前でした。
ある日、ふらっと入った本屋さんで、一人さんの本を見つけま した。「中卒で社会に出て、裸一貫で、納税日本一になるまで成功 した人がいるんだ…。すごいな!」。本など、まともに読んだこ とのない僕にも、一人さんの教えはわかりやすく、スーッと心に 染み入るように入ってきました。
僕は心の中で、「この人だ!」というファンファーレが鳴ったよ うな気がしました。佳代が言っていた「僕たちを幸せに導いて くれる“人生の師匠〟とは、この斎藤一人さんに違いない!」。そ んな不思議な直感がビンビンきて、体全体に鳥肌がたったのを 覚えています。
僕は、一人さんが作っているサプリメントが飲んでみたくてた まらなくなり、すぐに「まるかん」のお店に行き、サプリを買って飲み始めました。
すると、あんなにひどかった腰痛が、ウソのようにぴたっとな くなってしまったのです。そして、一人さんのサプリを飲んでいる と、朝から晩までがむしゃらに働いても、ちっとも疲れることが ありません。
「一人さんが作ったものは、すごいサプリだ! 僕のお客さんに も飲ませてあげたいなあ…」。当時、僕たちが習っていたマッ サージの先生から、お客さんには別の健康食品を勧めるように 言われていました。でも、どうしても、一人さんのサプリを飲ま せてあげたい・・・。僕たち夫婦は、一人さんのサプリを、こっそり 別の容器に入れ替えて、お客さんに渡したりもしていました。
そのうちにマッサージの先生から独立できるようになり、ま るかんのお店「表佳代若返り対策研究所」として、堂々と仕事 ができるようになりました。本当に嬉しく、晴れ晴れとした気 分でした。
しかし、そんな僕たちに、「もうひとつの試練」が待っていよ うとは、思ってもみませんでした。
黒いマニキュアをつけ、 部屋にひきこもる次男 不登校になり、暴れるように
僕たち夫婦には二人の息子がいますが、下の息子が中学1 年のころから、突然、言葉や行動に、変化が現れるようになり ました。
小学校までは素直で甘えん坊で、動物が大好きなやさしい 子でした。ところが、中1の途中から、部屋のカーテンを閉め きって、まっくらな部屋にひきこもるようになったのです。朝は 起きてこないで、何をするでもなく1日中ボーッとして、学校に はほとんど行かなくなってしまいました。爪には真っ黒のマニ キュアを塗り、髪を金髪に染めて、佳代に対して、「おめえ、う ざってえんだよ・・・」などと、ひどい言葉を言って、暴れたりしま す。佳代は一人さんの教えを学んでいたので、ニコニコと笑顔の まま、「そんなひどいこと、言わんでよ・・・」と息子に明るく返し ていましたが、内心はかなり傷ついていたようでした。
僕は、やさしかった息子が、なんで突然変わってしまったのか、考えてみてもまったくわからず、ショックでした。しかし、と にかく両親が一生懸命働く姿を見せていようと、いままでどお り、毎日、楽しく働くようにつとめました。
そんな僕たちが、いよいよ「ストーリー占い」と出逢う日が やってきたのです。
ストーリー占いで 「自己破産を経験した意味」がわかり 涙が止まらなかった
ある日、富山を旅行している一人さんが、旅の途中で僕たちの 店によってくださり、僕と佳代に「ストーリー占い」をしてくださ ることになりました。
僕は一人さんの前に、ガチガチに緊張しながら座りました。
一人さんは、「緊張しなくていいよ。ラクにしていな」と微笑みか け、「この『ストーリー占い』は、弘純くんの過去・現在・未来のこ とが『人生のストーリー』のように現れるんだよ。弘純君の運勢 が良くなって、ますます道が開けるといいね」と心に響くような 声で説明してくださいました。
そして、占いが始まりました。あまりにもピタリと当たるのと 共に、体全体が心地よくなって、ふんわりと毛布をかけてもらっ たように癒されている感じがしました。なんだか、ありがたくて、 ありがたくて…。始まってほんの1分ぐらいで、僕の両目から、涙 があふれるように流れ出ました。
そして、「ストーリー占い」を受けて、ハッキリわかったことがあ ります。
いままで僕は自己破産をしたことを「恥」だと思ってきたけれ ど・・・、それは、一人さんや仲間たちと出逢い、「ストーリー占い」を 広めていくための「お試し試験」だったのです。もし、僕が自己破 産をしなければ、僕は苦労知らずの「お坊ちゃん育ち」のままで した。そんな僕では、たとえお店を持ったとしても、苦労した人 や傷ついている人の気持ちを思いやり、ともにいたわりあうこと ができません。僕が人の痛みをわかるようになるために、自己破 産は「最高の修行」だったことがよくわかりました。
そして、佳代も一人さんから「ストーリー占い」を受け、涙ぐみ ながら大感激していました。「この『ストーリー占い」は、とんでも なくすごいよ。いままでのどんなものよりも、人助けになるちゃ。 私たちの店のお客さんに、すぐにやってあげよう。息子たちにも やってあげようよ!」。佳代は興奮しながらそう言っていました。
「お母さん、またコレやって」 占いを受けた息子の様子が その日から、変わりはじめた
僕と佳代は、一人さんにやってもらった翌日から、お店で「ストー リー占い」を始めました。お客さんたちも、「占いなんて・・・、当たる のかねえ」「なんで健康食品のお店なのに、占いなんかやるんか ね?」と最初は半信半疑でした。
しかし、受けた人が「これは、すごいものだね・・・」と口々に言って くれるようになりました。「私がずっと心にひっかかっていたトラウ マが、たった20分間の占いで、すっごくラクになった!」と喜んで くれる人もいれば、中には、受けている最中に、感激のあまり、泣き 出してしまう人もいます。受けた人の口コミで、「ストーリー占い」 は、どんどん広がっていったのです。
そして、僕たちの店にはお客さんがあふれるようになり、気が付 いたら、月の売り上げが1千万を超えるようになっていました。そ れでも止まらず、最高金額3千万もの売り上げが上がるように なったのです。
そして、佳代はお客さんだけでなく、息子たちにも「ストーリー 占い」をやり始めました。
はじめ次男は、「占いなんて、そんなアヤシイもの受けねえぞ!」 と固くなに拒否していました。
しかし、佳代が、「この占いは、いまのあんたに必要な言葉が、ぴっ たり出てくるんよ。あんたのことを上から目線で叱ったり、悪く 言ったりする言葉はひとつも出ないから、安心しられ(※富山方言 で「安心しなさいよ」の意味)。受けたくなったら、お母さん、いつで もやってあげるちゃね」と笑顔で言ったのです。無理強いせず、次男 の方から受ける日を待ちました。
すると、ある日、とうとう次男は、自分の部屋から出てきて、おっ かなびっくり佳代の前に座りました。
佳代が占いをやりはじめると、次男はじっと目をつむり、体をラ クにして、気持ちよさそうな様子で受けていました。そして、占い が終わると、「なんかオレ、気分がラクになったよ。お母さん、またコ レやって」と息子の方から言ったのです。これには僕たちも、びっく りしました。
その日を境に、なんと次男の様子に変化がみられるようになった のです。家族とジョーダンを言って笑いあうシーンも増えました。
次男が中学2年になると、なんと、休みがちだった学校に、自分 から進んで、毎日行くようになりました。「中学1年のときに休ん でいた勉強を教えてくれる『特別学級』に通ってみるちゃ。お父さ んとお母さんも、がんばってきたもんな。オレも、自分ができるこ とをがんばるちゃ」。ちょっと照れながら、そんなことを言ってくれ るようになりました。
次男は今年、中学を卒業し、清掃会社の面接を受けて合格しま した。「老人ホーム」などを掃除して、きれいで心地よくすること に全力を尽くしている様子です。 先日、初任給をもらってきたの で、「これで何を買うの?」と聞いてみたら、「うん、これでね、母の 日のプレゼントを買ってあげるんだ・・・」と次男。そんな次男のやさ しい言葉を聞いて、佳代は感激のあまり、泣き崩れていました。
まさか「ストーリー占い」をやってあげたことで、部屋にひきこ もり、暴言を吐いて暴れていた次男の様子が、こんなに変わるとは 思ってもみませんでした。
自己破産して、ゼロからスタートした僕たちですが、いまは貯金 もできて、マイホームやベンツも購入でき、息子たちもそれぞれ元 気に毎日を過ごすようになりました。お店では、よいお客さんに囲 まれ、最高に幸せな日々を過ごしています。
僕たちは、一人さんという”人生の師匠”に出逢い、「ストーリー 占い」をしてもらわなければ、今よりずっと不幸な道を歩いていた ことでしょう。こんなに幸せにしてもらったのだから、こんどは僕た ちが、ひとりでも多くの方にご恩返しする番です。
僕たちは一生、 無料のボランティアで「ストーリー占い」をしていきます。もし、何 かに悩んでいる方がいたら、どうぞ、遠慮しないで、いつでも「ス トーリー占い」 を受けに来てください。心からお待ちしています。
「母が自殺した・・・」という苦しみが 「ストーリー占い」でようやく消えた!
「母は自殺したんじゃない・・・」 そう思わないと、やりきれなかった
僕はいま栃木県で「斎藤一人さんのまるかん みんなのお店」 をやっています。お店のお客さんたちは、ものすごく仲が良くて、 僕のことを“みんなのアニキ的な存在〟という思いを込めて、 「ヒッキー」と呼んでくれています。
僕は「ヒッキー」と呼ばれるたびに、「よーし! 今日も、目の 前にいる人を、全力で幸せにしていくぞ!」という気持ちでいっ ぱいになります。
おかげさまで、僕のお店は今年で4店舗に増え、たくさんの 人の応援のおかげで、最高で月2千万円もの売り上げを出すこ とができました。
周囲の人は、僕のことを「いつも元気いっぱいで、頼りになるア ニキ」だと思ってくれているようです。
しかし、こんな僕でも・・・、実は誰にも話したことのない「苦し みの体験」があるんです。
このことは、思い出すたびにしんどい気持ちになるし、考えれ ば考えるほど、胸が押しつぶされそうになる出来事でした。もう 15年以上も、僕の中で、「トラウマ」となっていた出来事です。
この「トラウマ」から僕を救ってくれたのが、一人さんが教えて くれた「ストーリー占い」でした。今回は、「ストーリー占い」の すごさを知ってほしくて、勇気を出して、当時のことをふり返っ てみようと思います。
実は・・・、僕が29歳のときに、僕の母は亡くなりました。「自 殺」ということでしたが、僕はそれを受け入れることができませ んでした。
当時、母は「パーキンソン病」を患っていました。「パーキンソ ン病」というのは、体の神経が徐々に麻痺していく難病で、治す 手段がなく、「不治の病」といわれています。
母は病院で、症状を軽くする薬を出してもらっていました が、その薬は副作用が強くて、薬を飲むとかなりの「被害妄 想」が出ていたようです。母を看病しようとする人に対して、 「あの人、私のことを殺そうとするのよ・・・」と震えながら言った りしていたので、母の心の中は常に、恐怖と不安があったのだと 思います。
それでも治療を続けていましたが・・・、ある日、家族が留守のあ いだに、自宅マンションの15階から飛び降りてしまったのです。
母は飛び降りたとき、キッチンのテーブルには、きれいなラン チョンマットがひかれ、母が大好きなチーズケーキと紅茶が用意 してありました。母は、これからお茶でもしようと思って、いそ いそと準備をしていたのでしょう。
そんな用意までしていたのに・・・。 なぜ、ふいに飛び降りてし まったのか、僕にはまったく理解ができませんでした。
警察で何を聞かれても、知らせを聞いた親戚に泣かれても、 葬儀の準備をしなくてはいけなくても・・・、僕は「母の死」が信 じられず、夢でも見ているような気分でした。母の最期が「自ら 死を選んだ」という結末なのかと思うと、悔しくて悔しくて、 やりきれなかったのです。
僕は夜中に、ひとりで外に出て、天に向かって大声で叫びまし た。「お袋は、自殺なんかしたんじゃないよね。 洗濯物でも干そ うと思ったら、めまいがして、ベランダの柵から落っこちちゃった んだよね。ホントにおっちょこちょいなお袋なんだから…。ね、そ うでしょ、神さま?」。叫びながら、涙が後から後から頬をつたっ てゆき、夜空の星がぼやけてゆきました。星が静かにまたたく のを見ながら、僕だけでも、そう信じていようと思いました。ま た、そう思わなければ、当時の僕は生きていけなかったのです。
こんどは妻が「アルコール中毒」に! 妻の看護に追われていたら、 会社をクビになってしまった
母が亡くなった後、僕自身の悲しみはなかなか癒えませんでし たが、そのほとぼりも覚めないうちに、次の試練が訪れました。
当時、結婚していた妻が、僕の母が自殺したことを「私のせ いよね・・・」と、自分を責めるようになったのです。僕たち夫婦と 母は同居していて、妻と母は、母が自殺する日まで、わりと仲 良く暮らしていたのです。
妻は、胸に抱えた苦しみを、お酒の力で癒すようになりまし た。僕の目を盗んでは、毎日、浴びるようにお酒を飲むのです。
妻はお酒を大量に飲むと、発狂したり、暴れたりするように なりました。狂ったように「死ぬ~! あたしも死ぬ~!」と叫 びながら、ガラス窓を素手でたたき割り、血まみれになって倒れ ていたりもしました。僕があわてて、救急車で病院に運ぶと、 「アルコール中毒」だと診断されました。
この日から、こんどは妻の「アルコール中毒」との戦いが始 まったのです。
妻は、僕が勤務中であろうと、大事な会議の最中であろうと、 職場におかまいなく電話してくるようになりました。そして、電 話に出ると、「私、いまから死ぬから・・・。お義母さんが自殺した 責任を、私がとってあげるから・・・」 と、自殺をほのめかすのです。
僕は当時、サラリーマンをしていたのですが、妻が自殺を口に するたびに、「妻も、お袋と同じように、マンションから飛び降 りてしまうのでは・・・」 と、どうしょうもなく不安になりました。 そして、仕事はそっちのけで、あわてて家に帰り、妻の顔を見るま では安心できませんでした。
欠勤や早退がたび重なるようになり、僕の勤務態度が職場で 問題視されるようになりました。そしてある日、会社の上司から 呼び出され、「今日限りで、君をクビにするから…」と突然、言い 渡されたのです。
僕はガクゼンとしましたが、心のどこかに「これで、ずっと妻の そばにいてやれる・・・」というホッとした思いもありました。
しかし、そんな僕に追い打ちをかけるように、さらなる試練が 待っていたのです。
妻がが浮気して、「ひとりぼっち」に 母親も、仕事も、パートナーも失った
僕が会社をクビになった次の日、なんと、驚くようなことが起 こりました。
妻が、「私、この家を出て、オトコのところに行くから…」と出 て行ってしまったのです。
僕はまったく気が付きませんでしたが、 なんと妻は「アルコール中毒」を患いながらも、他の男と不倫を していたのでした。
僕は母親を失い、職も失い、さらには妻も失い、本当に「ひとり 「ぼっち」となったのです。
ふと気が付くと、家の中は、家族が誰もいない「底なしの静け さ」に満ちていました。僕はいままで「家族のために・・・」と奔走し てきました。しかし、ひとりぼっちになったいま、何も「生きがい」 にするものがないし、朝起きても、会社に行く必要もないのです。
僕は1日の大半を、布団の中で過ごすようになりました。何も 食べたくないし、外にも出たくない。たとえ、このまま餓死したと しても、僕が死んだことにすら、誰も気がつかないでしょう。
そんなとき、玄関のポストの方で「カタン!」と音がして、何か 郵便物が届けられたのを感じました。のろのろと布団からはい出 して、ポストを見てみると、僕の親友からの「お届けもの」だった のです。包みを開けてみると、「この本は、すごくいい本だから、読 んでごらん」というメモと共に入っていたのが・・・、なんと一人さん の「ツイてる!」という本だったのです。
「ツイてる!」と言い始めた日から 僕の「逆転劇」が始まった!
本など、まったく読む気のしない僕でしたが、親友のススメも あって、パラパラとページをめくってみました。そして、パッと目の とまったページに、こんな言葉があったのです。
「どんなときも『ツイてる』と言っていたら、本当に『ツイてる人 間』になれます。 そして、ずっと「ツイてる』と言い続けていたら、 その人の抱えている悩みは消えてしまうでしょう」。
僕は思わず「ツイてる!」と声に出して言ってみました。こんな サイテーのどん底状態で、布団の上に座って、「ツイてる!」なん てマジメに言っている自分がおかしくなり、なぜだかゲラゲラ笑い がこみあげてきました。
僕はひとりで吹き出しながら「ツイてる!」 「ツイてる!」と何 十回も言い続けてみました。すると不思議なことに、激しい空腹 を感じ、ごはんが食べたくなりました。 家にあったお米を炊飯器 で炊いて、冷蔵庫に残っていた佃煮と梅干しでごはんを食べると、 なんだか、とても美味しい(笑) こんなどん底の状態でも、「ご はんが美味しい!」と幸せを感じられる自分がいるのです。
そして、外にも出てみたくなりました。「ツイてる、ツイて る!」と言いながら家の周りを散歩して、帰ってみると・・・。そこに は、驚くようなサプライズが待っていたのです。
いつ届けられたのかわかりませんが、なんと僕の家のポストの 中に、「まるかんの特約店募集!」のチラシが入っていたのです。
僕はすぐに、まるかんの本部に電話をかけ、特約店になること を申し出ました。僕が運よく(?)失業中だったこともあり、事が とんとん拍子で運び、僕はあっというまに、一人さんの特約店にな れたのです。
僕は心の底から「ツイてる~~~っ! オレって、つきまくり だ!」と叫びました。「どんなときも『ツイてる』と言っていたら、 『ツイてる人間』になれるのです」という一人さんの言葉は、まさに 真実だと思いました。そして、この「どん底」の状態を救ってくれ た、一人さんという人に、どこまでもついていきたいと思いました。 この日から、僕の「逆転劇」が始まるようになるのです。
「ストーリー占い」で、「母の死」の意味を知る
僕はまるかんの特約店として仕事をするようになり、生まれては じめて「自己重要感」(自分もみんなも大切な人間だ・・・という気持 ち)が満たされたような気がします。
商売の経験がまったくない僕が、一人さんの楽しい教えを、ただその まんま、お客さんに伝えるだけで・・・、お客さんはものすごく喜んでく れる。「ヒッキー、心がラクになったよ」「一人さんの楽しい教えを、伝え てくれて、ありがとうね」。そんなふうに、僕にまでお礼を言ってくれ る。こんなに人から必要とされ、感謝され、充実した気持ちを味わっ たのは、生まれて初めての経験でした。
ある日、一人さんと東北のある県で、お逢いすることができました。
一人さんは、僕の顔を見るとすぐに、「あのね、ヒッキー。『ストー リー占い」っていうのがあるんだけど・・・。ヒッキーに、やってあげたいん だよ」と言うのです。
僕がめんくらったような顔をしていると、一人さんはにこやかに言 葉を続けました。「この『ストーリー占い」っていうのはね、生きている 人だけじゃなく、亡くなった人のことも占えるんだよ。名前を言う と、その人に必要なメッセージが出てくるんだ。その言葉を、亡くなっ た人は、天国で聞いているんだよ。それで、その人の気持ちがやすらい で、幸せな気持ちになれるんだよ」。
一人さんの言葉を聞いて、僕はハッとしました。僕がずっとしたかっ たこと。それは亡くなった母を癒すことでした。
「一人さん、ぜひ、亡くなった母を占ってください!」。僕は緊張も忘 れて、きっぱりと一人さんに申し出ました。
すると、一人さんは、「お母さんの名前を言ってくれるかな?」とおっ しゃったので、僕は「○○○○です」と母の名を言いました。
すると、ひとりさんは静かに目を閉じながら、「じゃあ、はじめる よ」と、僕がじっと見守る中、「ストーリー占い」をしてくれたのです。
占いが始まると、まるで一人さんは、生前の母のことを知ってい るかのように、母にぴったりの言葉が次々と出てきました。息子の 僕でしか知らないような、母の真実の人生が、過去・現在・未来の ストーリーになって、語られていくのです。
そして、そばで見ている僕の体が、なぜかフワ~っと気持ちよく なり、幼い頃、母に抱かれているときのような心地いいぬくもり が僕を包みました。「あ、いま母は、僕のそばにいるんだ…」。そん な感覚が、僕にはハッキリ感じられたのです。
占いが終わった後、僕が心の底から感じたのは、「母の死は寿命だった」ということです。母は、人生を途中で放り出して、逃げ た…というわけではないのです。母が生まれたときから、その日 に亡くなることは決まっていたのだと思います。
そして、母は、僕にとても大切なメッセージをくれました。それ は、「母のように苦しんでいる人を、一人でも多く助けること。それ が僕の使命だ」ということです。そのために、母は命をはって、僕 に最期を見せてくれたのです。
僕はそのことがわかったとき、はじめて自分の中で「母の死」を 受け入れました。母が亡くなる日まで、母と過ごしたすべての思 い出が、「大切な宝物」だと改めて思えました。
亡くなった人とは、また来世で必ず逢える!
そして、「ストーリー占い」は、もうひとつ、僕を勇気づけてくれ ました。
それは、来世で、必ず母に逢えるということ。一人さんの楽しい 教えで「人は、何度も、何度も、生まれ変わる。生まれ変わるたび に、心のステージを上げていく。家族や親友や仲間など、縁の濃い 人とは、必ずまた来世でも逢えるんだよ」という言葉があります が、まさに、そのことを示すような言葉が、「ストーリー占い」で ハッキリと出たのです。
母は、肉体こそなくなりましたが、いつも僕のことをずっと空 から見守っている。僕が真剣に働いているのも、ちょっとさぼろう としているのも・・・(笑)、みんな見ていてくれている…。そう思う と、母に恥ずかしい生き方はできないぞ・・・と、改めて思いました。
一人さんは、最後にこう言いました。「ヒッキー、この『ストー リー占い』を覚えて、ボランティアでやってあげてほしいんだ。いろ いろな人を助けてあげるんだよ」。
僕はその夜、夜空を見ながら、天国の母にそっと伝えました。 「お袋、ようやくわかったよ。お袋は、めいっぱい生きたんだよね。 お袋は、すごくすごく、がんばったんだよね。お袋、オレのことを 生んでくれて、ありがとう。 オレは、お袋の死をムダにはしない よ。最高の師匠、一人さんの教えで、一人でも多くの人を幸せにす るために・・・、これからの人生をささげていくからね」。夜空の星は まるで、「それでいいんだよ」とうなずくように、キラキラとまた たいていました。
「私、死にたいんです・・・」と言う女の子に 誠心誠意をこめて「ストーリー占い」をやった
僕はその後、愛する女性と出逢い、再婚しました。そして、いまは 妻と息子と共に、幸せに暮らしています。
店に行けば、たくさんのお客さんに囲まれ、相談を受けたり、「ス トーリー占い」をやったり、それはそれはもうにぎやかな毎日です (笑) 「オレは、ひとりぼっちなんだ・・・」 と、布団の中で孤独を味わっ ていたころの自分が、いまとなっては、信じられないような日々です。
ある日、僕のお店に、ヒトミちゃんという女性のお客さんがやってき ました。ヒトミちゃんは「うつ」を患っているそうで、「私、毎日、死にた くてたまらないんです…。本当のことを言うと、今日、飛び降り自殺 をしようと思っていたんです・・・。でも、たまたま彼氏が私の様子が変 なのに気が付いて、このお店に連れてきてくれたんです・・・」と泣きな がら話してくれました。
僕は、ヒトミちゃんの話を聞いているうちに、母の声が聞えたよう に思いました。 「英明、ヒトミちゃんは苦しいんだよ。 ヒトミちゃんを 助けてあげて…」。そんな声が耳元でしたように感じたのです。
僕はヒトミちゃんに笑いかけました。 「ヒトミちゃん、いままで苦し かったね。でも、もうオレのところに来たから大丈夫だよ。オレは全力 で、ヒトミちゃんを助けるからね」。そう言うと、誠心誠意をこめて、 僕はヒトミちゃんに「ストーリー占い」をやりました。
占いが終わると、真っ青だったヒトミちゃんの顔が上気して、うっす らピンク色に変わっていました。「たった20分間の無料の占いで、こ んなに気分がラクになるなんて、信じられない。私、いろんな薬を飲ん でも、いろんなカウンセリングを受けても、ぜんぜん良くならなかった のに・・・。こんなに明るい気分になれたの、何年ぶりかなあ?」。ヒトミ ちゃんは笑顔を見せながら、そんなふうに言ってくれました。そして、 「ヒッキーさん、私、また来ていいですか? また、『ストーリー占い』 をやってほしいです!」と明るい声で帰っていきました。
このヒトミちゃんはいま、どうしていると思いますか? 僕の店は 現在4店舗で営業しているのですが、その中のひとつの店舗の店長さ んに、なんとヒトミちゃんがなってくれているのです!
毎日、かいがいしく働いて、元気にスタッフに指示を出しているヒト ミちゃんを見て、「私、死にたい・・・。今日、自殺しようと思ったんです ・・・」と泣いていた女の子だと、誰が思うでしょうか?
人は誰でも、人生で「とてつもなく苦しいとき」があるものです。僕 も、そうでした。 ヒトミちゃんも、そうでした。
でも、「人を助ける側」にまわることで、その人の運勢が変わ り、本当の意味で幸せになれる。人を助け、人に喜ばれること で、自分ではどうしょうもないトラウマや傷が、癒やされていく こともあるのです。僕にそのことを教えてくれたのは、まぎれも なく、一人さんでした。
いま苦しくて、「死にたい」と思っている人。
親御さんやお子さんを突然亡くして、その途方もない悲し みがまったく癒えない人。もしそんな方がいたら、ワラをもすが るような気持ちで、「ストーリー占い」を受けにきてください。
まるかんには、僕と同じ思いの仲間が、全国にたくさんおり ます。みんな、誠心誠意、〝無償の愛”で、あなたに「ストーリー 占い」をさせてもらい ます。どんなことで も遠慮なく、 お話くださ いね。どんな 話をされて も、僕たち は驚きませ ん。だって、 僕たちも、 たくさん、 たくさん傷 ついて、「ス トーリー占 い」に助けら れてきたの だから…。
いつで 僕たちは、 最高の笑顔 で、あなたが 来てくれるのをお待ち しています。